はじめに 記事をお届けするに当たり、昨夏、関東・東北地域を直撃した、強烈な台風19号と、続く21号の記録的な豪雨で、千葉や栃木、福島など5県の34河川で浸水被害や土砂災害により亡くなられた方々を始め、多岐に亘って被災された皆様へ心よりお見舞い申し上げます。また、このたび我が国の世界遺産である沖縄のシンボル首里城の正殿等主要部分の全焼被害が発生。やりきれぬ国民的ショックも癒えぬ中、重ねて2019年12月4日、アフガニスタン東部で長年医療と共に当地に用水路を完成させた国民的英雄、中村哲医師の暗殺事件が続きました。余りにも大き過ぎる一連の悲報に暮れた昨今です。今私達は世界平和の為に何が出来るか…?中村氏が遺した後姿から一人ひとりが何かを学び取り、その実践こそが目指した真の世界樹に繋がるものと思います。謹んで哀悼の意を捧げつつ。合掌
先日トヨタが富士山麓にトヨタ「コネクティッド・シティ」プロジェクトを発表した。
人々の暮らしを支えあらゆるモノやサービスがつながる実証都市、AIを駆使し自動運転の実験都市をゼロからつくる幸せなコミュニティーの未来都市構想である。
裾野市上空から眺める雲海を従え天高く聳える「富士山」。
眼下には夢広がる富士山麓の「未来都市」…
壮大な夢を描くトヨタ東富士(裾野市)富士山麓に計画の「実証都市」
この度のトヨタの構想は、日本の都市環境をモビリティー産業からの提案である。
わが国には戦後の焼け野原に都市計画の機運はあったが、敗戦国にそんなものは不要であると沙汰止みになり、その結果が日本に住む私たちは訓化され、気にもならなくなった、混濁し無残な世界に類を見ない景観である。
戦後日本には今一つ建築・都市計画には、1959年に始まった「メタボリズム建築運動」があった。黒川紀章や菊竹清訓ら日本の若手建築家・都市計画家グループが開始した、経済成長時の社会の変化や人口の成長に合わせ、有機的に成長する都市や建築を提案したものがあった。それも我が国の都市環境全体をどうするかには及ばず「建築」に終わった。
あれから数十年、この度のAIによる自動運転の視点から取り組む街づくりの実験的提案はテーマパーク的ではあるが、わが国の混沌とした現在の閉塞状態の都市改善に一役買うと期待される。
そこには今後の一般的な都市計画に、AIと機械が先行する人とハイテクとのインターフェスのあり方をどう位置づけるか、風土と伝統をどう生かすかが大事である。
現在都市環境に取り組む重要な視点は、人口問題と気候変動に伴う社会イノベーションである。戦後の暮らしに大きく関わったモータリゼーションの都市環境への影響と変化を振り返り、ミティゲーションと、レジリエンスでの繕い、補い、償う改善の取り組みが必要であろう。
少々具体的に道路景観から戦後日本のモータリゼーションを振り返ると次のようになる。
「戦後道路環境の変遷」
戦後の復興と急激な人口増と経済発展は、食料増産で麗しき田園が、道路環境は自動車の利用と増産で、街並みを変貌させた。戦後間もなくまでの道路は、自分の家の庭の延長として清掃する習慣があり、子供達の遊び場であり、野天の大人のコミュニティーリビングでもあった。
やがて道路空間は車の轍と泥はねと土埃り、そして砂利撒き、やがてアスファルト舗装と道路拡張が進み、美しき伝統の垣根や塀、格子戸や磨き抜かれたガラス戸、コミニティーリビングとしての街道は 自動車機能中心の殺風景で危険な空間と化したのである。
そして和洋バラック建築と醜い電柱や雑多な看板が犇めく中に、辛うじて伝統の美しい建築などは静かに黙って生残っている。戦後70年経ってもこの混濁状態が放置され続いている国は珍しい。
電力通信関連と自動車交通関連産業等がどの様に取り組むべきか、その一つが今回のトヨタの実証実験都市構想にも問われる。わが国の大半の現状はあまりにも無残な景観であり、次世代の心に影響も大きく、国を挙げて取り組むべき責任がある。
グローバル化とは言え、戦後失われた多くの日本の暮らしや、日本人が美しく見える「風土と伝統を活かして未来をつくる」その実現を期待する。
思い出すのは半世紀ほど前であるが、東京の郊外にベルコリーヌという住宅公団の団地が立ち上がった。この設計に携わった建築家に、何故日本の風土と伝統ではなく、イタリア調の都市を造るのでしょうかと尋ねたところ、私たちも同感だが、住宅公団の意向なのだと答えられた。
ここに現在に続く無国籍文化、欧米偏重の敗戦国日本のアイデンティティー喪失の一環が今でも存在している。
「 改めたい日本の景観と心 」
国宝、重文、神社仏閣、伝統的存在は敬意を払うべき地域の宝、せめて半径百メートルは電柱・看板に制限をしたい。
建物や道路付属物の色彩と形態の混乱は、交通標識や信号の視認を妨げ危険でもある。早々に整理整頓する条例を。
日本の建物は元来白黒グレー自然素材色が風土と日本人の容姿に似合う磨き上げられた文化である。道路の色彩は白・黒・黄橙と交通標識の色彩だけで十分、過ぎたるは及ばざるなり。
景観ばかりではなく全ての日本の物事には、今でも年間7万5千本の巨大な電柱が立てられる風景を、容認する日本人の改善すべき意識構造が幸せな未来に必要である。
「気候変動に伴う都市の提案」
東アジアの幸せな都市づくりの思想「四神相応」に戻ろう。
万葉の秋津洲、国づくりの繁栄と争いの中にも、人は青垣山こもれる麗しきふるさとの都市を想い描き生きた。
四神相応は古代中国に生まれた雄大な環境づくりの思想であるが、わが国では飛鳥、奈良、平安の時代から、都市計画から暮らしの隅々までに浸透している。
大陸の都市計画を忠実に摸した桓武天皇の京都、徳川家康が取り組んだ名古屋と東京がその例である。家康は来る平和社会を見越し、四神相応を自在に大らかに解釈活用した。
伊勢湾と揖斐、長良、木曽の大河で西を隔て、熱田大地に平和の時代を見越し、城の南を商人の町割とし、江戸でも水利を大きく変え利根川に流し、水害をなくす街づくりを進めた。
何百年を経た今でも、当時の基本がしっかりと残り、今や京都は日本の文化首都であり、中京名古屋は産業首都であり、世界の東京は政治経済の首都として繁栄している。
5000年前の縄文時代の伊勢湾の水際線と未来都市の連携案。また今東京も大阪も世界中の平地も海水と雨水で覆われ、地下水の上昇と液状化で狭められた陸地丘陵も今や崩落の危険が迫る。大地も海も自然に還そう。最低限自給自足の農地は確保し、自由な環境として生き物に解放する。
建物は都市とコミニティーごとに暴風雨と紫外線から守る古代の高床式の人工地盤。センター都市と衛星都市は高架で結ばれる。
(図は20年ほど前に名古屋国際デザインセンターで、中部デザイン協会のイベントで発表したものである)
「2100年の子供たちへ」
2100年に生きる こどもたちへ 何を残そう記憶に残る生きものらしい 本当のくらしを
大地を自然に還し 天と地の間に生きるのさ 光を 風を 緑を 海も 山も 生きものに解放し
縄文の大自然の中で 高床式の都市の暮らし 自然と共生する 分相応の暮らしに戻るのさ
AIで環境を制御し 人も自然も幸せになるさ
建物は都市とコミニティーごとに暴風雨と紫外線から守り、古代の高床式の人工地盤とし、センター都市と衛星都市とは高架で結ぶ。
激しさを増す気候変動の自然の猛威や UVに耐える宇宙空間の未来都市を模した街に住む
予想概念図。
一周42.795キロmで、直径100Mを超えるチューブドーム状の断面図 上から農場、運動場、遊歩道など、次は住環境、次は公共施設、商環境・オフィス環境、道路、その下は交通機関、工場、エネルギー、給排水、処理場など。その下は港湾などに。
「エコキャピタル愛知」
人は土地を離れてエコキャピヤルに移り住む 家も学校も、オフィスも工場も、店も道路も
子供達が裸で遊べ、緑も花も虫も家畜も一緒 金魚売り 鶏の声、鐘の音も聞こえる混在都市
海水面の上昇、紫外線などから暮らしを守る 地上に降り立った巨大なリング状の宇宙船だ
一周42.195km直径13.4kmのチュ--ブ 熱田の森と名古屋城を核に、365日で一回転
気候変動に対応する究極の都市計画の提案。この絵は伊勢湾に浮かぶ人工地盤の名古屋市である。チューブ状の全天候型もある。海水面の上昇による水際線の後退での高潮や津波に対応する。屋根は部分的に球場のドーム式に開閉が出来る。もう個々に土地所有建築するのではなく、格差や階級もなく、ともに生きる総合コミュニティー都市になる。
図表現:丹羽 宏暁
「空中回廊で結ぶ都市構想 前哨的試み JR岐阜駅前再開発」
岐阜の伝統と風土や産業を、そして四神相応を仕組んだ大型交通拠点杜の広場。地上階は自動車交通が主体でJR駅と同一平面で有機的通路とシェルターで繋ぎ、2階レベルのデッキでビル群を、安全に人の回遊する有機的な試み。
さらにこの回廊が南北に伸び、大きな繁華街、柳ヶ瀬、市役所へと広がると長大なコンパクトシティーの核が出来る。地上階にはビオトープの安息の杜、バス・タクシーベイ、イベント広場、大型交番、トイレ、インフォーメーションがあり街の東西南北に安全が広がる。
環境ディレクター 愛知県立芸術大学名誉教授 林 英光
「日本の未来都市デザイン」−2 に続く・・・
【寄稿文】 林 英光
環境ディレクター
愛知県立芸術大学名誉教授
東京藝術大学卒業
協力(敬称略)
裾野市観光協会
〒410-1116 静岡県裾野市千福7-1 (すそのセントラルパーク内)TEL: 055-992-5005
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)
読者からご意見が届いております。その一例をご紹介いたします。
『読者の声』
近年、全国的に地方都市において、JR駅舎の建て替えが進んでいるようですね~!
一方、田舎では、少子化や若者がいつかづ、次第に利用客も減り廃線、廃駅、になるところもあるようです。
そんな中で、林 英光氏の企画・デザインによる岐阜駅前広場は~駅舎+α~の特筆すべき「おもてなし」空間であるように思います。
確かに駅は立派になっても、一歩まちに出るとかなりの落差があり(広さなのか?予算なのか?アイディアが足りないのかわかりませんが?)ガッカリすることが時々あります・・・
岐阜においては、筆者ご自身が語られているように街並みや既存の商店街等(例えば、昭和40年代柳ヶ瀬ブルースで全国にその名を轟かせた柳ケ瀬商店街…現在、当時とは比べ物にならないほど力を失っていると風の便りに聞き及びます。)との融合・発展などを是非、実現してほしいですね~
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