ZIPANG-4 TOKIO 2020 黄金の国ジパング『ケセン』(その5)気仙地方と気仙大工 【寄稿文】日原もとこ

陸前高田市小友町の気仙大工左官伝承館にあるガス灯「3・11希望の灯り」。

兵庫県神戸市にあるモニュメントから分灯を受けたものです。阪神・淡路大震災から25年となった日のことでした。大震災被災地に暮らすものとしての思いを重ね、ゆらめくほのかな明かりを前に市民らが手を合わせました。撮影:千葉雅弘 (東海新報社)

新緑とノスタルジア 住田町 

住田町と遠野市を結ぶ赤羽根峠を上り下りしていると、新緑の山に抱かれた坂本川沿いの集落が目に飛び込んできます。古き良き農村の風景を今もとどめているからなのだろうか⁉住んだことがあるわけではないのに、懐かしさに似た感覚を呼び起こさてくれます。
撮影:秋山 興(東海新報社)

河川愛護月間絵手紙コンクールで国土交通大臣賞
高田東中3年の熊谷さんが応募1000点余の頂点に!

国土交通省が主催する令和元年度「河川愛護月間絵手紙」のコンクールで、陸前高田市立高田東中学校3年の熊谷寧音さん(15)の作品が最優秀賞として全国でただ一人表彰される国土交通大臣賞に輝いた。一般を含め全国から寄せられた1000点を超える作品の頂点に立ち、絵に込めた願い・・・・

気仙で小学校の卒業式「飛躍誓い 新たな一歩」

新型ウイルスで規模縮小。気仙3市町の多くの小学校で卒業式が開かれた。
新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、式の規模を縮小し、出席者を制限。
卒業生たちは仲間たちと過ごした6年間を振り返りながら、中学校での飛躍を誓った・・・・

現在の景観「森川海と人」の町

2019年9月には、住田町と陸前高田市でそれぞれ「森川海と人」に関する国際シンポジウムと対話集会が開催されました。米国スミソニアン環境研究所のデニス・ウィグハム氏の研究発表など…主催は一般社団法人 生態系総合研究所。


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いま世界的に新型コロナパンデミックの真っ只中ですが、日本ではこれに追討ちをかけるように、7月初旬には「令和2年集中豪雨」と命名された災害で熊本県や岐阜県において沢山の方々が犠牲者となられ、大きな被害を蒙ったばかりです。

この度は9年前の東日本大震災において未だ復興途上にある三陸地域のニュースをお届けするに当たり、改めて犠牲となられたすべての方々へ謹んで哀悼の意を捧げるものです。

合掌

編集局記

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〝逆光〟の満蔵寺山門  気仙大工 作

住田町の指定有形文化財・満蔵寺山門は夜になると、オレンジ色のライトアップで魅せる。
山門を通り抜けた正面からの光は、裏側もほのかに照らす。気仙大工が腕を振るった山門の中で随一と称される迫力と、細部のこだわりが共存する構造美。そして、満天の星空がよく似合う。撮影:佐藤 壮(東海新報社)

2020年1月26日(日)にオープンした「陸前高田アムウェイハウス まちの縁側」
設計は、建築家隈研吾氏。木材を巧みに重ね合わせて庇を支える日本の誇る気仙大工独特の技法を最大限に活かし、地元の気仙杉を使い建築されています。海と陸を繋ぐゲートの役目を果たしており、伝統的な日本家屋の縁側や庇に集う人々のように、新たなコミュニティ施設「まちの縁側」が優しく迎えてくれます。屋上庭園からは陸前高田の街や海・山・人が一望できます。写真は、完成間近の建築途中の様子です。

 

住田町と気仙大工は切っても切れぬ関係だった。

この度、記事の見出しが…えっ!#住田町?…続いてえっ!#ケセン大工?…というこの二つのキーワードが目に飛び込んだ時、いきなり私の中でまざまざとトラウマの如き映像が湧き上がるのを禁じ得ませんでした。と同時に、一方で何故か対極にある意外な景色が部分的に綯い交ぜの記憶として残っているのも確かな事なのです。


ケセンと申せばあの気仙地方、三陸沿岸部そしてあの東日本大震災・・・


2011年3月11日、14時46分、東日本大震災が発生した日です。震源地は三陸沖 でしたが、被災地の面積は南北500km.東西200kmに及び、これはマグニチュード9と言う我が国にとっも、観測史上最大の地震だったのです。


あの時は、日本人の誰しもが当事者でなくとも何か手助けしなければ…と、多くのボランティアの方々が現地へと全国から集まりましたよね〜。当時、私は大学での定年退職後、すぐに半官半民の仕事に就き、山形市にいて執務中でした。私のデスクからはガラス越しに、山形城址裏手の濠を隔た先には高木の樹林帯があり、あの地震の瞬間、その森から空が真っ黒になる程、大小の鳥達がぎゃ~ぎゃ〜と阿鼻叫喚の様にて鳴き叫びながらフワーッと垂直に湧き上がったかと思えば、空中で乱高下を繰り返したのち、やがてすべてが視界から消え失せたのです。


カラス類はその後1年間位は殆ど見かけることがありませんでした。(その後の話では被災地が、異常な数のカラスが増えたとか…?)大変不吉な予感を覚えたものです!


あの日、山形市の勤務先にいた私ですが、嘗て経験したことも無かった空前絶後の激しい揺れには、その強度ばかりか、持続時間の長かったことに、同室に居た誰しもが単なる地震とは異なる、もしかすると天変地異でも発生したのか…と感じたようで誰かが「何だこれはっ…?」と叫びましたが、すぐに室内灯が切れ、TVも映らなくなり、私が持つ携帯のみが作動して、ラジオニュース速報が入り、三陸沖が震源地であることと、同時に間もなく襲来する大津波警報を伝えていました。


山形県は、歴史的に大きな災害は少ない土地柄ですが、やはりそれなりの非日常的暮らしが待ち受けていました。先ずは当日から2~3日はTVも無く真っ暗闇の夜を過ごし、全ての店も閉まり、開店しても食品ダナは空っぽ !ヤマザキのパンが当分は手に入らず、2~ 3週間に亘るかなりの飢えを体験。一番困ったのは殆どの社員はマイカー通勤なので、(実は公共交通機関がバスのみで、路線不足と利用者不足の間引き運転の為)ガソリンが足りず、朝5時頃から7時給油開始まで延々とスタンド前に行列を作るのです。しかも、お一人様10Lまでの配給制度でしたが、8時頃行っても売切れ御免の札が掛かるのです。

それは、私がつくばの国立研究機関から山形県に移り住んで19年目のことでした。 


地震発生3ヶ月後、目にした現地沿岸部の様相

山形市は被災地となった宮城県や福島県とは背中合わせに隣接するにも拘らず、仕事上、土日しか動けず、現地に行けたのはあの日から3ヶ月後のことでした。それでも大義名分は日本インテリア学会、関東支部プロジェクトの為の被災者状況調査役を仰せつかったからでした。


時間が許す限り、相馬市の手前から田野畑村までの範囲ですが、それはご存知のように沿岸部はリアス式海岸特有の複雑怪奇な地形にて幾つもの半島、岬を辿り、街中は瓦礫の山と化して、通行不能カ所も幾度びか行きつ戻りつを繰り返すため、一日500~600km走行は当たり前でした。


街中通過の途上では、目にする汎ゆるシーンは映画やアニメでさえも表現できない、究極の破壊です。 沿道には半分に分断された運転席のみの車、或いは上下左右から叩きのめされた車、ひっくり返った車、ぺシャンコに積み重なった乗用車。果ては街中の瓦礫に埋もれたビルの屋上には巨大な漁船が乗り揚げていたり、誰一人歩く姿を見かけない死に絶えた町でした。

「あの日」忘れまい、県警が震災当時の活動写真展開催、陸前高田市で8月19日まで 

県警本部が東日本大震災後、沿岸被災地で活動した様子を伝える警察活動写真展が23日、陸前高田市気仙町の道の駅「高田松原」出入り口の地域情報スペースで始まりました。市内で開催するのは今回が初めて。震災発生から9年4カ月が経過し、全国的に記憶の風化が進む中、津波の教訓を・・・


がらんどうになった3階建てのホテルに入り込むと、窓という窓はすべてガラスの破片すらも残らず、足元は足の踏み場もない土砂と瓦礫、倒壊した設備機器や外部から流れ着いた何処かの生活用品らしきゴミ類が散乱堆積しており、むき出しの天井からは千切れた配線コードが幾つも垂れ下がり、見渡す限り、余りにも凄絶過ぎて幽霊屋敷とさえも呼べないおぞましい光景でした。


交通網はズタズタに途切れ、何度も迂回するなど、ナビなどあっても意味も無く、全国から復興救助隊や支援隊として派遣された多くの輸送機関で渋滞するなど、早朝に出発しても日帰りも困難を極め、宿泊施設も満員。仕方なく翌朝未明に帰県する始末でした。  


然しながら、覚悟を決めて被災地周辺の高台や山間部では、寄り道、迷い道にて不思議な景色や地名に遭遇し、個人的には思わぬ歴史的、或いは民俗的な深みに嵌るきっかけが出来た御利益もあったのです。


住田町とのご縁から学ぶ 三位一体=山ー川ー海の地域連携の早技 !

私は、前述学会プロジェクトとして、調査対象を絞る為に先ず着手したのは、順番として被災者が避難した高台の小中学校の体育館などの一次避難所に向かうべきでしたが、出動が3ヶ月も遅れた為に、仮設住宅の事例を探しておりました。


しかし、メディアは未だ一次避難収容所で暮らす方々の話ばかりが目立ち、あの様なブライバシーのない大空間で3ヶ月も経た今尚、続いて過ごさねばならない事情とは何か?少々疑問に感じていましたが、なんと、早々と一番乗りの施工事例が新聞で紹介されていたのです。 それが、住田町でした。


それは大船渡市や陸前高田市、大槌町等近隣の被災者を対象に呼びかけ、僅か1ヶ月余りで建設場所は住田町に93戸を完成し、5月には入居というものでした。
しかも、写真で見る限り、狭いとは言え、他と比べても一戸建てのなかなかスマートな山荘風の洒落たものに感じたのです。


早速、住田町役場に連絡を取り、何度か足を運んだ結果、歴史的に同町は沿岸部の大船渡市や陸前高田市と結んだ素晴らしい協力関係にあること。それ故に互いが土地の個性を活かし、人材的にも経済的にも効率的にもすべてがシステマティックに回る協力体制を築いたとする内容を解説して下さり、感心したものです。


住田町はあの気仙川の源泉をもち、陸前高田市に注ぐのです。そしてそこに至る中間地にはケセン大工の住む小友地区があるのです。
なんと、絵に描いたように上手く出来たお話ではありませんか?


この仮設住宅にはピーク時には93世帯、入居者は261名を受け入れたそうです。

この日で9年4カ月 住田町の木造仮設  

全入居者の退去完了、後方支援の大きな節目に、東日本大震災9年4カ月  東日本大震災の発生から、この日で9年4カ月。住田町が独自に整備した木造仮設住宅では今月、すべての被災者が新たな住まいに移り、入居者がゼロとなりました。


私が案内された住田町における様々な作業システムの加工現場を見て驚いたのは 本当に、夫々が担当する役割において、些かの重なりもなく、町全体を工場に見立てて、順序よく拠点配置され実に無駄のない流れ作業ができていること。


そして、美しく整頓された部材置き場には緊急対応が素早く対応出来ることが瞬時に見て取れる、プレカット加工された部材置場でした。
今回、日本建築学会作品選奨を受賞されたお話を伺い、正しく宜成哉 !むべなるかな‼…と思いました。

心よりおめでとうございます ❣  



【寄稿文】 日原もとこ
東北芸術工科大学 名誉教授 /風土・色彩文化研究所 主宰/まんだら塾 塾長
日本デザイン学会/日本インテリア学会名誉会員/



三十三観音巡りに 続く・・・



協力(敬称略)

東海新報社
気仙伝統文化活性化委員会
〒022-0002 岩手県大船渡市大船渡町鷹頭9−1 電話: 0192-27-1000

  


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。 

ZIPANG-4 TOKIO 2020

2020年東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、神社仏閣、祭礼、伝統芸能、風習、匠の技の美、世界遺産、日本遺産、国宝等サイトを通じて平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

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