黄金の国ケセン
気仙(けせん)は、伝統文化がいまも豊かに息づく土地です。
歴史的には「黄金の国ジパング」の名の元となった金の産出地としても知られ、 信仰、祭礼、踊り、建築物や美術工芸などを今に伝えています。
柳田國男が絶賛した地としても知られ、宮沢賢治の創作の源の一つでもありました。
現在は、大船渡市、陸前高田市、住田町の2市1町に分かれていますが、 文化財の宝庫として、今もケセンは「黄金の国」と呼ぶにふさわしいエリアです。
ケセンの色は何色かな?
空を仰ぐための場所
来訪者に、天井を切り取る穴の理由を尋ねられた。「空の鏡なんですよ。水に映る空を見て天を仰ぎ、亡き人に思いをはせてほしいと願いを込めたそうです」。
設計者に聞いたまま説明すると、その人もなるほどと言って空を見上げた。群青の下に沈黙が訪れる。相手もきっと祈っていたのだろう。
(道の駅・高田松原、12月)撮影:鈴木英里(東海新報社)
お元気でしたか? 忘れていませんよ!
被災地に今も心寄せられ、秋篠宮ご夫妻が大船渡入り、震災からの復興状況ご視察。
秋篠宮ご夫妻は2019年9月25日、7年ぶりに大船渡市を訪問されました。多くの市民から歓迎を受けたご夫妻は、同市役所やおおふなぽーと(防災観光交流センター)、㈱キャッセン大船渡が運営する商業施設に足を運ばれ、東日本大震災から8年6カ月余りを経過した市内の復興状況をご覧になられ、市民や関係者の皆様に励ましのお言葉を懸けられました。
夕闇と時雨の声
裾を青く染めた夜の帳が、空からゆっくり下りてくる。お天王さまの御旅所である拝殿が、夕闇に柔らかな光をにじませる。その明かりに引き寄せられるかのように石段を登ってきたのは、少し先の雨の気配。うっそうとした木々の間からは、雨粒より先に蝉時雨が降り注いだ。(陸前高田市高田町・天照御祖神社、7月)撮影:鈴木英里 (東海新報社)
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いま世界的に新型コロナパンデミックの真っ只中ですが、日本ではこれに追討ちをかけるように、7月初旬には「令和2年集中豪雨」と命名された災害で熊本県や岐阜県において沢山の方々が犠牲者となられ、大きな被害を蒙ったばかりです。
この度は9年前の東日本大震災において未だ復興途上にある三陸地域のニュースをお届けするに当たり、改めて犠牲となられたすべての方々へ謹んで哀悼の意を捧げるものです。
合掌
編集局記
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ケセンの色は命の色・・・
あるはずのない記憶まで
気仙大工左官伝承館の母屋。いろりにくべられたまきが赤々と燃え、鉄瓶から白い湯気を立ち昇らせる。褐色にいぶされた戸の向こうから冬の日が差し込み、黒光りする床板に茜がさしたかのよう。子どものころここでいろりを囲んでもちをほおばった、みたいな、〝ない記憶〟までよみがえる。(陸前高田市小友町、2月)撮影:鈴木英里(東海新報社)
浜の活気願って
北里大学の三陸臨海教育センターから3㌔ほど進むと、小壁漁港に出る。ここのシンボル的存在で、昭和20年代に設けられた木製の桟橋は見られなくなったが、石造りの恵比寿さまはこけむしながらも、かつてブリ漁で栄えた海原を見つめ続けている。いまも昔も気仙の人々が願うは浜の活気だ。(大船渡市三陸町越喜来、2月)撮影:千葉雅弘(東海新報社)
浅き夏の深呼吸
上流から激しく流れ落ちてきた水が、めがね橋の下でゆるやかになり、小さなあぶくを浮かべる。そのさまは飲みかけのラムネをこぼしたかのよう。木々の織り成す夏虫色のグラデーションが水面に反射し、橋を初夏の藍に染める。夏浅き川辺に憩う緑の光を吸い込むため、一つ大きく深呼吸した。(住田町上有住、5月)撮影:鈴木英里(東海新報社)
浮かび上がる蔵と橋
野球場の夜間照明は、対岸の蔵並みにも光を注ぐ。浮かび上がる白壁と屋根の直線には、凜としたたたずまいがある。さらに、自らの明かりで照らされた昭和橋の親柱と、古びたコンクリートの欄干。重厚でありながら、どこか温かい。せせらぎを耳にしながら、古き良き景観の奥深さにふれた。(住田町世田米、7月)撮影:佐藤 壮(東海新報社)
運行5年 希望を乗せて
山あいのホームにゆっくりと姿をみせるSL銀河は、多くの人々の心をつかむ。子どもたちは瞳を輝かせ、懐かしさを覚えた高齢者は、涙を浮かべる。春から秋にかけての毎週末、上有住駅に活気が生まれるようになって5年が過ぎた。漆黒の車体は、明日への希望もけん引する。(住田町上有住、7月)撮影:佐藤 壮(東海新報社)
サンマ漁船のいざない
普段は真っ暗で吸い込まれそうな感覚すら覚える夜の海面が、この日は宝石をちりばめたかのようにまばゆく輝いた。「海の祭典」へ繰り出す船団に加わったサンマ漁船。船上に整然と並ぶライトの光線が波に散らばり、見る者を幻想の世界へといざなった。
(大船渡湾、8月)撮影:大谷桂太(東海新報社)
ここが夏の最高潮(クライマックス)
七夕の笛の響きには切なさが隠れている。短い夏が間もなく終わる──そんな予感を知る音色。大人に付いて行事に加わる子どもらも、夏の最高潮がここにあると知ることで、「また来年も」。そう思うのだろう。あの大震災を経ても途切れることがなかった祭事は、その一心が繋いできたのだ。(陸前高田市高田町、8月)撮影:鈴木英里(東海新報社)
海原に頼もしく~男は背中でものを言う~
27日朝、本州のトップを切って大船渡市魚市場に秋の味覚・サンマが水揚げされた。岸壁では、関係者が公海での操業を終えて戻ってきた漁船と乗組員たちを歓迎。復興へと歩む「水産のまち」の産業を支える大型船の姿は頼もしく、海原によく映える。
(大船渡市大船渡町、8月)撮影:清水辰彦 (東海新報社)
光る波打ち際で
この春に来た時よりももっと、「高田松原」らしく戻ってきていた。浜辺があんまり光るからなんだろうとしゃがんで目を凝らしたら、水晶の粒のように微細な石たちが砂の中に混じっているのだった。波打ち際の濡れた砂が、午後の陽を浴びてきらきら、きらきら。この浜辺自体が宝物みたいだ。(陸前高田市、9月)撮影:鈴木英里 (東海新報社)
秋風に揺れる先に
犬頭山の林道を進むと、精巧なミニチュア作品のような風景にたどり着く。町中心部に架かる昭和橋は90年近く、人々の暮らしを静かに支え続けてきた。台風や増水にも耐え、時には「いつもご苦労様」と声をかけたくもなる。林道に秋風が吹き抜けると、ススキが橋をなでるように揺れ動いた。(住田町世田米、9月)撮影:佐藤 壮(東海新報社)
ここは、晩秋の入り口
種山の黄色は、秋の深まりを告げる。針葉樹であるカラマツに囲まれた散策路で、アクセントを加えるように広葉樹の葉が伸びる。柔らかい美しさに浸るだけでなく、凜とした影の直線に近づく冬を意識する。散策路に風が吹き込み、思わず首をすくめた。もう、そんな時期になった。(住田町世田米、11月)撮影:佐藤 壮 (東海新報社)
行く人なしに秋の暮
清少納言も「秋は夕ぐれ」と書き残すほど美しいときであるにもかかわらず、「秋の暮」という語感が持つもの悲しさは、これから訪れる冬を前に、気持ちがかじかみ始めるからだろうか。木々の向こうに沈む陽の赤さはひととき心を照らすけれど、このさみしさをぬぐい去ることはできない。(大船渡市三陸町吉浜、11月)撮影:鈴木英里(東海新報社)
モノトーンの毛細血管
繊細な木々の枝に粉雪が寄り添ったままで、動物の足跡もない。令和初の銀世界が、手つかずに残っていた。種山ヶ原森林公園・せせらぎの広場近くのあずまや付近に描かれたのは、モノトーンの毛細血管。新緑や紅葉のような彩りはないが、雪の種山にも、息づく生命の空間が確かにある。(住田町世田米、11月)撮影:佐藤 壮(東海新報社)
編集後記
気仙には、まだまだ地元に住んでいる方でなければ気づかない場所や撮影できないような素晴らしい、シーンがいっぱいあるようです。そこで、東海新報社様にはご協力を乞いまして、次号はシリーズ続編としてケセンの色に着目し、お題目は『気仙に命の色を訪ねて』
としてご紹介致すことにしました。
おや?本号は残る13観音
「気仙33観音巡り」の紹介記事だったよね〜‼?・・・と、風の囁きが聴こえてきたような…?
そう言えば、もう既に1回素っ飛ばしていましたっけ…ごめんなさい
m(_ _;)m
つい、編集途上で様々な画像コレクションを拝見する内、魅惑的なシーンに釘付けになったりしましてね。これは被災地と言う先入観に囚われ過ぎてつい、その他の隠れたお宝をうっかり見過してしまうのでは?と、思っちゃったのですね。
まあ、有り体に申せば言い訳になりますが、
もしも、読者の皆様が気仙地方をお訪ねになる折にはきっとお役に立てるかもと閃いたのも事実なんです。ハイ!
次々号では必ず残りの観音巡りをご紹介しますことを観音様に免じてお誓い申し上げます。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
協力(敬称略)
東海新報社
気仙伝統文化活性化委員会
〒022-0002 岩手県大船渡市大船渡町鷹頭9−1 電話: 0192-27-1000
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
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