出石の四季
秋の日
出石では、これから本格的な秋の始まりです・・・
紅葉と銀杏の秋の競演です…貴方はどちらの秋がお好みですか・・・
冬の日
出石では、秋の日は短く、人々が知らぬ間に去って行く・・・
ワァ~イ !! 初雪だ〜❢ 降りしきる雪まで溶かしそうな黄色い声…
振り返れば子供連れの観光客。南の国からのご来県かな…⁉
店の軒先で大人たちも、石垣に積もる雪を珍しそうに眺めながら、朝は晴れていたのに…と呟きながらも会話が弾んでいる。庭先に置かれた鉢植え大輪の菊が思わぬ寒気に驚き、半分小雪に身を隠していた。…
それは、昼飯にと…ある出石名物蕎麦屋に立ち寄った昼下りの風景だった…
夏の日
あれあれ~出石では、冬が終わるといきなり夏になるのかい?春は?
❨四季じやなくて三季??❩
・・・これには深いワケがありまして・・・
但馬夏の風物詩「出石の風鈴」
出石城登城門前にゆらめく300個以上の出石焼の風鈴。出石焼の風鈴は響きすぎないやさしい音色が特徴です。
ひとつひとつ手作りなので、音色が微妙に違います。
春の日
花は桜木 山は富士 出石を見守る 出石川と出石神社
出石神社 あの時は、鳥居を潜ると桜の花が迎えてくれ…幸せ気分満開でした・・・
但馬国一の宮 出石神社 楼門
「光陰矢の如し」あれからもう三年以上たったんですね。お元気かな~長尾家典宮司におかれては・・・
但馬開発の祖神を祀る山陰有数の大社
「いっきゅうさん」の呼び名で親しまれる出石神社は、「古事記」「日本書紀」にも名を連ねる山陰有数の大社です。
但馬国一の宮に位置づけられ、ご祭神は天日槍命(あめのひぼこ)。
天日槍命は、但馬開発の祖神とされる神様です。
新羅の国の王子として生まれた天日槍命は、妻を追って日本に渡来し、
そのまま但馬国に留まり土地を拓いたと伝承されています。
様々な絵柄の幟(のぼり)
出石神社には、天日槍命が日本に渡るときに携えたという八種の宝がともに祀られています。
出石神社では毎年5月5日、その年に生まれた男児の健やかな成長を願う節句行事「幟まわし」が行われます。
揃いの衣装をまとった宮内少年会の子供らが、竹ぼらの音に合わせて様々な絵柄ののぼりを立てまわします。天日槍命が泥水の底にあった但馬地方の干拓に成功し、大きなのぼりを立てて宮内に帰還したときの
道中姿を模したものだと伝えられる、出石ならではの勇壮なお祭りです。
出石町概要
出石町の誕生
出石町は、「古事記」「日本書紀」にも名前の現れる歴史の古い町です。
但馬開発の祖神ともいわれる新羅の王子天日槍命(あめのひぼこ)が、垂仁天皇3年に渡来してこの地を拓いたと伝えられ、町名も、天日槍命の宝物である『出石小刀』に起因したといわれています。
また、古くは但馬の国衙(こくが)が置かれていたとも伝えられ、袴狭地区にある「砂入遺跡」からこのことを裏付けるように「人形(ひとがた)」 「斎串(ゆぐし)」といった祓いの道具が大量に出土しています。
室町時代
室町時代になると、「太平記」にも登場する山名時氏(ときうじ)が但馬地方を制圧し、その子時義(ときよし)は、宮内の此隅山(このすみやま)に本拠を構えました。
山名一族は 、日本全国66カ国中11カ国を治さめ「六分の一殿」と呼ばれましたが、明徳の乱により一族の内紛を起こし、その後わずか3カ国の守護となってしまいました。
時義の孫宗全(そうぜん)はその勢力を盛り返し、応仁の乱では西軍の大将となりました。しかし、戦国時代に入って、山名氏はその勢力を失い、山名祐豊(すけとよ)の時に織田軍の羽柴秀吉に攻められ此隅山城は落城しました。
祐豊は城を有子山に移し守りを固めましたが、天正8年(1580)に秀吉の弟秀長(ひでなが)により有子山城は落城、山名氏も滅ぼされました。
秀長は城を木下昌利に守らせ、その後城主は青木甚兵衛、前野長康と変わったのち、播州竜野から小出吉政(よしまさ)が領主として封ぜられ五万三千石を領し、その子吉英(よしふさ)の時に山城を廃し、山麓に平山城を築き城下町づくりを行いました。
江戸時代
小出氏は九代、約100年間続きましたが後縦ぎがなく断絶し、元禄10年(1697)に武蔵国岩槻より松平忠徳(ただのり)が移封されました。
宝永3年(1706)に松平氏は、信州上田の仙石政明(せんごくまさあきら)と国替えとなりました。仙石氏は七代にわたって出石藩を治めましたが、天保6年(1835)の仙石騒動により、三万石に減封され明治に至っています。
名物 出石皿そば ~ルーツは信州にあり~
出石の伝統工芸である出石焼はこの江戸時代中期に始められ、また、特産の出石皿そばは、仙石氏が信州からそば職人を連れてきたのがはじまりとされています。
明治
明治4年7月の廃藩置県により、出石藩は出石県となり、同年12月には豊岡県に編入されました。明治9年3月26日に起こった火災は、旧城下町を火の海とし、家屋966、社寺39、土蔵290を焼き尽くしました。
同年8月には豊岡県が兵庫県に編入され、さらに、明治22年の町村制の施行により、出石町、室埴(むろはに)村、小坂(おさか)村、神美(かみよし)村が生まれました。
昭和
昭和32年9月、神美村穴見谷地区を除く1町3村の合併が成立し、出石町が発足しました。
平成
平成17年4月、近隣1市5町(豊岡市・出石町・但東町・日高町・城崎町・竹野町)で合併し、豊岡市出石町となり今日に至っています。
歴史上の人物
天日槍命 あめのひぼこ
夜明け近く白くかすむ川面の向こうに舟を漕ぐ音が響く。
「誰」とたずねると彼は名を告げた。「新羅の國の王子」と。
天之日矛あめのひぼこ(天日槍命)は新羅(しらぎ)の国の王子として生まれた。ある日、天日槍命は一人の若者から、新羅国アグ沼のほとりで眠っていた女性が美しい虹のような光をあびて産み落としたという赤い玉を譲り受けます。
家に持ち帰り飾っていたところ、その玉は美しい乙女となり、天日槍命は、乙女を妻にして、
二人は楽しい日々を送るが、やがて乙女に対して不満をいうようになり、乙女は嘆き悲しみ「祖の国へ行きます」と天日槍命のもとを去ってしまう。乙女は日本の難波にたどりつき、比売詐曽(ひめこそ)神社のアカルヒメという祭神になります。
一方、天日槍命も八種の神宝を携えて日本へ渡ろうとするが、渡りの神に邪魔をされて、多遅摩(たじま) 国(但馬国)に上陸し、出石に住むようになり、やがて、但馬の俣尾(またお) の娘、前津見(まえつみ)を妻にし、製鉄をはじめ大陸の優れた技術を持って天日槍命は但馬に新しい文化をつくりあげていく。(古事記)
天日槍命は朝鮮半島から日本に渡来した人々が信仰した神様だと考えられています。
出石神社由来記には天日槍命が、その当時入江湖であった但馬地方を瀬戸の岩戸を切り開いて耕地にしたと記されており、表現は多少異なるが古事記、日本書紀、播磨風土記にも天日槍命とその一族は登場し、伝説と神秘に満ちた古代史を彩っていく。
「日本書記」には、垂仁天皇3年春3月に昔に新羅王子・アメノヒボコが神宝、羽太の玉、足高の玉、赤石、刀、矛、鏡、熊の神籬の7種を持参した事への言及があり、その渡来の記述があります。
田道間守 たじまもり
彼に出会ったのは、大和へ続く道。両腕に橘の実をいっぱい抱え去っていった。
多遅摩毛理たじまもり(田道間守)は、長年探し求めていた常世国(とこよのくに)の時じくの香(かく)の木の実をとうとう見つけて帰ってきた。
田道間守は天日槍の子孫、三宅連(みやけのむらじ)らの祖先で、垂仁天皇の命を受けて、はるかな地に、命を長らえることのできる実、その時節ではなくてもいつでもある香り高い果物(橘)を求める旅に出ていた。 荒海を渡りようやく命がけで橘の実を手に入れて帰ってきたのは十年後。
急いで垂仁天皇のもとへいくと、その時すでに天皇はなく、悲しみ嘆いた田道間守は、天皇の陵(墓)に、橘を捧げたまま息絶えてしまった。(古事記)
天日槍命は朝鮮半島から日本に渡来した人々が信仰した神様だと考えられています。
出石神社由来記には天日槍命が、その当時入江湖であった但馬地方を瀬戸の岩戸を切り開いて耕地にしたと記されているのです。
表現は多少異なるが古事記、日本書紀、播磨風土記にも天日槍命とその一族は登場し、伝説と神秘に満ちた古代史を彩っていく。
忠節を尽くした田道間守の墓は、垂仁天皇陵の堀の中に浮かぶ小さな島にひっそりと祀られています。また、田道間守が持ち帰った時じくの香の木の実は、わが国のお菓子のはじまりとされ、お菓子の神様として、田道間守の故郷兵庫県豊岡市中嶋神社に祀られているのです。
出石見どころおすすめコース
出石見どころおすすめコース地図をクリックすると拡大できます。
お急ぎ観光コース(約1時間)
出石城跡→出石家老屋敷→(辰鼓楼)→出石永楽館→豊岡市立美術館-伊藤清永記念館ゴール
ゆっくり観光コース(約2時間)
出石城跡→出石家老屋敷→(辰鼓楼)→出石明治館→宗鏡寺
酒蔵→出石史料館→桂小五郎潜居跡→出石永楽館→豊岡市立美術館-伊藤清永記念館ゴール
出石の見どころ一覧
出石見どころにつきましては、順次ご案内いたします。
続く・・・
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
協力(順不同・敬称略)
株式会社 出石まちづくり公社
〒668-0214 兵庫県豊岡市出石町内町104-7 電話:0796-52-6045
NPO法人 但馬國出石観光協会
〒668-0214
兵庫県豊岡市出石町内町104-7
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公益社団法人ひょうご観光本部
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