ZIPANG-4 TOKIO 2020日本遺産 国境の島『対馬』を知る「神々の時代から現代まで‼対馬楽講座~歴史編~」募集

はじめに 記事をお届けするに当たり、昨夏、関東・東北地域を直撃した、強烈な台風19号と、続く21号の記録的な豪雨で、千葉や栃木、福島など5県の34河川で浸水被害や土砂災害により亡くなられた方々を始め、多岐に亘って被災された皆様へ心よりお見舞い申し上げます。また、このたび我が国の世界遺産である沖縄のシンボル首里城の正殿等主要部分の全焼被害が発生。やりきれぬ国民的ショックも癒えぬ中、重ねて2019年12月4日、アフガニスタン東部で長年医療と共に当地に用水路を完成させた国民的英雄、中村哲医師の暗殺事件が続きました。余りにも大き過ぎる一連の悲報に暮れた昨今です。今私達は世界平和の為に何が出来るか…?中村氏が遺した後姿から一人ひとりが何かを学び取り、その実践こそが目指した真の世界樹に繋がるものと思います。謹んで哀悼の意を捧げつつ。合掌


対馬について

対馬(つしま)は、九州と韓国の間の対馬海峡に浮かぶ島で、長崎県に属しています。
博多港(はかたこう。福岡県)までは航路で132キロ、韓国までは直線距離で49.5キロに位置し、「国境の島」と呼ばれています。

南北82キロ・東西18キロ、面積は約708平方キロ(属島ふくむ)で、沖縄本島と北方四島を除けば、佐渡島・奄美大島に次ぐ大きさです。

平成16年に島内の旧6町が合併し、長崎県下の市町村では最大の面積をもつ「対馬市」になりました。


対馬一の宮「海神神社」とは

対馬一の宮「海神神社」

対馬の中央部・峰町の西岸に位置する木坂地域に、対馬一の宮「海神神社」(かいじんじんじゃ)が鎮座しています。かつて「街道をゆく13 壱岐対馬の道」の取材で、この地を訪れた司馬遼太郎氏は以下のように記述しています。


「街道をゆく13 壱岐・対馬の道」より

「対馬が神々の島であるというのは十世紀の『延喜式神名帳』に記載されているいわゆる式内社だけで二十九社もあり、これを肥前(長崎県・佐賀県)がわずか三社しかないことにくらべると、よくわかる」 「照葉樹で覆われたこのまるい伊豆山は、海上からその山容をみれば雲などを湧きあがらせてまことに奇(くす)しき山であるにちがいない。

ここに対馬の海部(海洋民俗)たちが、自分たちの住まいである船と航海の安全をいのって海(わだつみ)の神をまつったのは、当然であるかと思える。」 「海神神社は、伊豆山の山頂にある。山頂への道は堂々たる石段で、登るのが大変だが、ただこのような土地にこれほど贅沢な石段が造営されていることにおどろかされた。」 「全山が原始林で、野鳥の天国のようになっている。その頂上の平坦地にある拝殿は社殿とともに大ぶりな建築で、みごとというほかない。社殿は、南西の海に向かっている。航海する海辺のひとびとを守りつづけてきたという感じが、社前に立つとわかってくるような気がする。」

海神神社は、古くは神功皇后の旗八流を納めた地として八幡本宮と号し、対馬本宮と号し、対国一ノ宮と称されました。明治4年には海神神社と改称され、国弊中社に列せられた由緒ある神社です。周辺の木坂山(伊豆山)は千古斧を入れない原生林で、「野鳥の森」となっています。また本殿前を通る「木坂野鳥の森」遊歩道があり、野鳥を見ながら散策することもできます。


境内由緒より

海神神社(かいじんじんじゃ)
所在地 峰町木坂伊豆山鎮座
主神 豊玉媛命
祭神 合殿 彦火火出見尊 鵜茅葺不合尊 外二神
この外に摂社・末社十七座

【由緒】

本社は、延喜式神名帳所載、対馬上県郡の名神大社和多都美神社に比定され、神功皇后の旗八流を納めた所として八幡本宮と号し、対馬一ノ宮と称されたもので、明治四年に海神神社と改称、国幣中社に列せられました。

本社の造営は、古く大宰府所収上県郡の貢祖数ヶ年分を以て充てられ、藩政時代には藩費によって、およそ四十年ごとに造営されたものであります。

【祭礼】

毎月一日、月次祭。二月十七日(古例は旧正月十五日)、祈年祭。旧八月四日、前夜祭。五日、古式大祭。霜月初卯、一宮祭。

古式祭には神幸式、放生会、神楽があり、古くは鉾舞や舞楽があったが今は絶えています。

【宝物】

八幡神像二体(木造)。阿弥陀如来像一体(銅造・新羅仏)。神代矛6本(青銅広矛・弥生時代)、鏡28面(高麗鏡・胡州鏡・和鏡)。仮面8面(木造・鎌倉~南北朝)。

これには国・県指定の文化財が多く、外に鈴、銀椀、銀匙、甲冑、棟札などがあります。

【神山と社叢】

神霊の鎮まるところを伊豆山という。イヅ(稜威・厳)とは神霊を斎き祀ることの意で、千古斧を入れない社叢は県指定天然記念物の原生林、いま「野鳥の森」として指定されています。 


文化庁認定の日本遺産「国境の島 壱岐・対馬・五島」

2015年4月24日(金)、歴史的建造物や伝統芸能などの有形、無形の文化財をテーマや地域ごとに物語る、文化庁認定の「日本遺産」の第1弾(18件)に、「国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~」(対馬・壱岐・五島・新上五島)が認定されました!


日本本土と大陸の中間に位置することから、長崎県の島は、古代よりこれらを結ぶ海上交通の要衝であり、交易・交流の拠点でありました。

特に朝鮮との関わりは深く、壱岐は弥生時代、海上交易で王都を築き、対馬は中世以降、朝鮮との貿易と外交実務を独占し、中継貿易の拠点や迎賓地として栄えたのでした。

その後、中継地の役割は希薄になったが、古代住居跡や城跡、庭園等は当時の興隆を物語り、焼酎や麺類等の特産品、民俗行事等にも交流の痕跡が窺えます。

国境の島ならではの融和と衝突を繰り返しながらも、連綿と交流が続くこれらの島は、国と国民と民の深い絆が感じられる稀有な地域なのです。


青海の里

海神神社前の峠を越えると見えてくる谷間に広がる小さな集落。
30mを越える絶壁と手入れの行き届いた段々畑のコントラストが鮮やかで美しい景色です。
段々畑には四季折々の作物が植えられ、個性豊かな海岸線との対比が美しい青海の里は、 古きよき時代の風景が残る風光明媚な里です。

この部落には海辺に「埋め墓」、お寺に「拝み墓」という2つの墓があり、 近代まで両墓制の習慣があったことがうかがえ、古い習俗を今に伝える貴重な存在でもあります。


対馬

対馬にはいつから人が住んでいた?

越高遺跡 隆起文土器や石器などのほか、新たに四角形の「炉」跡が見つかりました


対馬で最古の遺跡は上県町の越高(こしたか)遺跡です。紀元前6800年頃の縄文時代の遺跡で、朝鮮半島の隆起文土器と、九州産の黒曜石などが同時に出土しており、その当時から朝鮮半島と九州の間で人・モノの流れがあったことを示しています。


魏志倭人伝 ~史書への登場~

対馬がはじめて歴史書に登場するのは3世紀頃、中国の三国志時代の「魏志倭人伝」(ぎしわじんでん)です。


「始めて一海を渡ること千余里、對馬(対馬)国に至る。 其の大官は卑狗、副は卑奴母離と曰う。居る所絶島、方四百余里可。土地は山険しく深林多く、路は禽鹿の径の如し。千余戸有り。良田無く、海の物を食べ自活、船に乗りて南北に市糴(=交易)す。」


断崖絶壁が多く、山が深く、道は獣道のように細い。また、水田が少なく、海産物を食し、朝鮮半島や大陸と日本本土を小船で行き来して交易を行っていた・・・。

豊玉町烏帽子岳から浅茅湾を臨む

この記述は、当時の対馬の状態を簡潔・的確に描写しています。現在でも対馬の島土の約89%は森に覆われており、農耕地は少なく、戦後に道路網が整備されるまで集落間の移動に船を用いることも多かったようです。 


白村江の戦い ~金田城と防人~

古代の対馬に緊張状態をもたらしたのが、663年の白村江(はくそんこう、はくすきのえ)の戦い。当時の朝鮮半島には高句麗(こうくり)・新羅(しらぎ)・百済(くだら)の三国が分立していましたが、唐・新羅の連合軍により日本と同盟関係にあった百済が滅ぼされ、百済再興のために大和朝廷が送った援軍も白村江で大敗してしまいます。

美津島町金田城・二の城戸

大和朝廷は朝鮮半島からの撤退を余儀なくされ、防衛のためにのろし台や防人(さきもり)が配置され、城が築かれました。

倭国側の当事者であった中大兄皇子(なかのおおえのみこ・天智天皇)は、唐・新羅の侵攻に備え、664年に筑紫・壱岐・対馬に防人(さきもり)・烽火(とぶひ)を設置し、667年、対馬に金田城を築きます。

日本書紀には、「天智天皇6年11月、倭国(やまとのくに)高安城(たかやすじょう)、讃岐国山田郡((さぬきのくにやまだのこおり)屋嶋城(やしまじょう)、對馬国(つしまのくに)金田城(かねだじょう)を築く」とあります。美津島町箕形の金田城(かねだじょう、かねたのき。667年)には日本最古級の朝鮮式山城の遺構がよく残っており、国の特別史跡に指定されています。


歌集「万葉集」には対馬を詠んだ歌が40首収められています。


金田城御朱印「御城印」観光客の登城記念証として対馬観光物産協会にて1枚300円にて販売


現在、金田城には登山道が整備され、山頂からは古代の防人たちも見たであろう朝鮮半島方面の水平線を臨むことができ、歴史のロマンに思いを馳せることができるトレッキングコースとして人気です。 


ここからは


「神々の時代から現代まで‼対馬楽講座~歴史編~」にご参加ください!

対馬楽講座、まもなく開講!!


神話の時代から現代まで?!


雄大な自然に恵まれ、ツシマヤマネコが生息する国境の島・対馬。
魏志倭人伝や古事記・日本書記、万葉集などの古典にも登場するなど、悠久の歴史を誇る島でもあります。ただ、歴史は奥が深く、難しい印象があるため、敬遠している人が多いのも事実。
そこで・・・対馬の歴史を、座学と現地でわかりやすく楽しく学ぶ「対馬楽講座」を開催します!  対馬の楽しみ方を身につけ、島内外の人と交流を持てば、人生が豊かになります。

人生の新たな扉を、開いてみませんか?


初回2/1(土)は、


テーマ「対馬、神社と神々の島」

講師は、和多都美神社(わたつみじんじゃ) 禰宜(ねぎ) 平山 雄一 氏。

國學院大學大学院文学研究科博士課程前期修了、長崎県神社庁元主事。
現在、一般社団法人ティカルダイバー代表理事、和多都美神社禰宜という経歴の平山さんに、
神道の源流のひとつである対馬の神社・神々についてお話していただきます。
講座後、ちょっと寄り道した後、和多都美神社を訪問・参拝します。
そちらでも興味深いお話が聞けるかと・・・!

【集合】10:00 豊玉文化会館・視聴覚室(長崎県対馬市豊玉町仁位370)


 第2回2/8(土)は、


テーマ「金田城、1350年前の石塁にふれる」

講師は、対馬市教育委員会文化財課 田中 淳也 氏。

金田城担当・専門家の田中さんとともに、いま、一番熱い「最強の城・金田城」の石塁ルートを歩きます。3時間程度のトレッキングになりますので、装備・寒さ対策をお願いします。

【集合】 10:00 美津島文化会館・駐車場 (長崎県対馬市 美津島町鷄知甲1287-1)


第3回2/9(日)は、


テーマ「元寇、佐須浦の激戦と軍神・宗助国」 

講師は、対馬市教育委員会文化財課 村瀬 達郎 氏。

「アンゴルモア~元寇合戦記~」や「GHOST OF TSUSHIMA」で注目の「対馬の元寇」について、中世が大好きという村瀬さんの案内で、現地・佐須地区(助国公の首塚・胴塚など!)を歩きます

【集合】 10:00 小茂田濱神社 (長崎県対馬市厳原町小茂田742)


 第4回2/16(日)は、


テーマ「軍都・鶏知を歩く」 

講師は、対馬観光ガイドの会やんこも 小松 津代志 氏。

買い物に便利で、造成地のイメージが強い美津島町鶏知(みつしままち・けち)地区ですが、明治~昭和にかけては「軍都」でした。

鶏知中学校は元・対馬要塞司令部で、当時の正門(レンガづくり)がいまも使われています。
知られざる鶏知の歴史を、元自衛官・小松さんに案内していただきます。

【集合】 10:00 美津島文化会館・駐車場 (長崎県対馬市 美津島町鷄知甲1287-1)


第5回2/22(土)は、


テーマ「聖地、対馬北部の神社めぐり」

講師は、対馬観光ガイドの会やんこも 古場 公章 氏。

古場さんおすすめの霹靂神社(古墳)や、舟志乃久頭神社、曽根崎神社、そして担当責任者の事務局長N氏も大好きと言う胡禄神社(上対馬町琴)を巡ります。

途中は車移動、胡禄神社は軽いトレッキングになります。

【集合】 10:00 上対馬総合センター・駐車場 (長崎県対馬市上対馬町比田勝575-1)


第6回2/23(日)は、


 テーマ「城下町、日朝通交の足跡を歩く」 

講師は、対馬観光ガイドの会やんこも 小島 武博 氏。

厳原港(いづはらこう)から桟原城(現・陸上自衛隊対馬駐屯地)にかけては、対馬藩主・宗家10万石の城下町です。

江戸時代の石垣が残り、朝鮮通信使も通った風情ある町なみを、「対馬観光ガイドの会やんこも」の会長・小島さんの案内でゆっくり歩きます。

【集合】 10:00 対馬市交流センター・3階大会議室(長崎県対馬市厳原町今屋敷661-3)


第7回(最終回)3/1(日)は、


テーマ「現代の防人、陸上自衛隊対馬警備隊」

講師は、陸上自衛隊対馬駐屯地司令 一等陸佐 山口 勝 氏。
ええ、対馬の陸自の最高責任者である山口司令に、対馬駐屯地でお話をしていただき、その後、施設内を紹介していただきます。(すごいっ!)

昨年4月に着任されてから対馬の砲台跡を20ヶ所ほど訪問されているとのことで、打ち合わせの際も砲台話に花が咲きました!

【集合】 10:00 集合場所は、対馬駐屯地近くで、現在調整中です。
(長崎県対馬市厳原町桟原38)


■ なお、毎回10:00開始ですが、終了時刻は各回で異なります。集合場所も毎回異なりますので、下記チラシでご確認ください。

■ 講座は基本的に無料ですが、軽登山がある第2回(金田城)、第5回(北部の神社)は、1名500円(税込)をいただきます。(その場合でも、高校生以下は無料です)
 

対馬市民はもちろん、このタイミングで来島される観光客の方も
参加できます。(要申し込み)


前号の編集後記にて離島には美味しい酒と食べ物が沢山あると申し上げましたので、多数ある中のそれぞれ一品をご紹介いたします。あとは現地でのお楽しみとしてください・・・

まずは地酒から

忘れられない銘柄です。続いてお食事は

石焼です。他にも鍋でいりやき(魚)と(鶏)があり、どちらも美味しいので迷いました…
さらに、昼食&小腹が空いたら・・・

対馬バーガー。美味しそうですね~そして最後はお土産です・・・

対馬銘菓「かすまき」です。なあ~んだ!「あんまき」かなんて言わないで下さい。
本場の「かすまき」は一味違いますよ~その味は現地でのお楽しみです・・・


対馬には、対馬観光大使の「つしにゃん」がお待ちいたしております。

対馬ヤマネコの「つしにゃん」です。鼻筋が通って凛々しいですね~


交通アクセス

空路で対馬へ

「国境の遠い島」のイメージを抱かれがちな対馬ですが、飛行機を利用すればあっという間に対馬に着きます。また、複雑に入り組んだ入り江と無数の島々が浮かぶ浅茅湾(あそうわん)の景観を楽しむことができます。

【福岡空港から対馬空港】1日5往復で片道約30~40分

【長崎空港から対馬空港】1日4~5往復で片道約35分


福岡から空路で対馬へ

ANA全日空

【機体】 ボンバルディアDHC8-Q400(74席)

【発着】 福岡空港~対馬空港

【便数】 1日5往復

【所要時間】 片道30~40分

【ご予約】 TEL 0570-029-222 (ナビダイヤル・全国一律料金・24時間受付)


長崎から空路で対馬へ

ORCオリエンタルエアブリッジ

【機体】 ボンバルディアDHC-8-201型

【座席数】 39席

【発着】 長崎空港~対馬空港

【便数】 1日4~5往復

【所要時間】 片道35分

【ご予約】TEL 0570-064-380(ORC予約センター・営業時間8:00~18:00・年中無休)



参考

「対馬」関連情報は下記リンク記事をご覧ください!

ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~古代からの架け橋~日本遺産認定「国境の島 壱岐・対馬・五島」


ZIPANG TOKIO 2020「日本の原風景 対馬の歴史~初めて訪ねた人にさえ懐かしさを感じさせる、その人情と風景とは~(第一話)」


ZIPANG TOKIO 2020「対馬の歴史~江戸時代~(第二話)いよいよ対馬で【対馬検定】開始!ご参加を」


ZIPANG TOKIO 2020「対馬の歴史 明治~現代(第三話)」


ZIPANG TOKIO 2020「世界記憶遺産認定  朝鮮通信使 日韓友好の共同登録!」


※読者からの対馬についてもっと知りたいとの声が寄せられていますので、以前にご紹介した記事のいくつかをリンクをはり追加いたしました。まだまだ、ご要望には至っておりませんがご参照ください。


鎹八咫烏記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使



協力(順不同・敬称略)

一般社団法人 対馬観光物産協会
〒817-0021 長崎県対馬市厳原町今屋敷672-1観光情報館ふれあい処つしま
TEL 0920-52-1566

(一社)長崎県観光連盟 長崎県文化観光国際部観光振興課
長崎市尾上町3番1号 電話:095-895-2647

文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111



※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。


 

早速、読者からのご意見が届いておりますので一部ですがご紹介いたします!


『読者の声』

対馬は長崎、佐賀、福岡よりも遥かに韓国・釜山のほうが近いなんて知りませんでした。
もっともっと、南の島のことを知りたくなりました。北海道にいるとせいぜい東京止まりなので、日本は広いですね~


『読者の声』

対馬の歴史には私も以前から注目しておりました。
琉球が中国とならば対馬は朝鮮と言ったように地理的性質上、日本の中では少し特殊な地域だと思います。(1019年の刀伊の入寇などを代表される様によく襲撃地の憂き目に遭うのですが・・・) 文化面までは疎いですが対馬では日本と韓国の文化がどれだけの融合しているのか、そこも気になるところですね。


『読者の声』

山口なので夏になると壱岐のビーチにはよく行きましたが、対馬は更に遥か彼方という感じがしていました。もっと対馬の歴史や文化や人々の暮らしを知りたくなりました。どうしたらいいですか?


『読者の声』

対馬の歴史の奥の深さが伝わってくるようです。 とても神秘的な島のように思えてきました。
お酒と料理が美味しそうです。  



ZIPANG-4 TOKIO 2020

2020年東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、神社仏閣、祭礼、伝統芸能、風習、匠の技の美、世界遺産、日本遺産、国宝等サイトを通じて平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

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