物質文明の次なるもの
「イーハトーブ & ダイバーワールド?」
今人類は有史以来最も重要な岐路に立っている。特に最小微生物の?ウイルスから物質文明究極?の核兵器の洗礼まで経験した我が国の使命は極めて大きく、次なる文明への範を示す責任と役割がある。 それは身近で、つい他人事のように見過ごされがちなことに、真摯に取り組むことから始まる。 この度提示する共生的自然と対立的人工物質のあり方、即ちリニア中央新幹線の推進計画と、戦後70余年も放置された沖縄の悲しみとの落差と矛盾等々、多くの積み残し課題がある。日本人は物事を深く根本に迫ることが不得手であるが、繰り返された利己と利他の心が生んだ歴史の教訓にこそ未来に向う人類の幸せが掛かっていよう。
やさしい生物山羊の子の幸せそうな姿と背景のリニア中央新幹線実験施設の対比風景
曾て、アーノルド・J・トインビーの 「人は歴史を学ぶが、歴史から学ばない」 という格言こそは、まさしく今回のテーマ 、「ウイズコロナ & ポストコロナ」への道標ではなかろうか? 同時に「できるだけ遠い未来を考えて人生を生きなさい」とするこの言葉も湧き上がってきた。
何故人間は目先の利ばかりを追い求め、結局同じ過ちを繰り返すのか?
近年の地球温暖化と 感染症の多発は人類が遠い未来や、利他を顧みず、目先の利欲を追った反作用としての一連の現象であると謂われる。
自然・人・動物や植物への影響は如何に・・・
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ー新型コロナ菌肺炎のパンデミックに寄せてー
昨年、我国は皇室の御代替わりで年号も改まり、昨秋の奥ゆかしき即位式には深い歴史の重みに国民は改めて誇りをもち、2020オリンピック主催国日本は明るい兆しを求めて令和2年を迎えたばかりでした。その余韻も覚めやらぬ1月半ば、世相はいきなり急転直下…
目下、全世界が新型コロナ肺炎パンデミックに巻き込まれております。未だ対処方法も終息期も見出だせない状況下、各国で拡散し猛威を奮っております。
今、私達に出来ることはただ一つ。それはこの目に見えない新型コロナ菌に出逢わない事だそうです。その方法とは… "三密 " つまり密集、密閉、密接 を避ける事ですね。
当面は一人一人がその "三密 " を守りましょう。皆が心を合わせれば、コロナ菌は行き場を見失うのです。
どうか、世界各国が足並みを揃え、協力しあって一日も早く平和な日々が訪れますように。
編集局より
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2050年の予測 《みんな何処へ行った・・・♪》
それにしても人は歴史を学ぶが、何故歴史から学ばないのだろうか。 「時代が違いますから」とする言い訳は説得性に欠けるし、無責任である。
英国経済誌『エコノミスト』によれば、わが国が2050年には世界で最も悲惨な国になるという予測をしている。何故ならば日本は現在、世界一の超高齢社会+少子化社会である。即ち30年後には更に高齢者層は肥大化し、逆に減り続ける労働人口の少数が日本経済を支える図式となり、その結果は火を見るより明らかであろう。
この度の新型コロナ騒ぎは、ある意味で未来へのシミュレーションである。例えば新コロナ禍の対応策としての" 三密 "は " ソーシャルディスタンス" 等流行語となって、マスク着用は常識となり、勤務体制は "在宅勤務" 、"テレワーク" 、"オンライン会議" 等の副次効果を生み出す様々な社会現象となって、一挙に日常風景が変化した。これが僅か2〜3ヶ月の間に起こった事実である。
確かに国が緊急事態宣言と自粛指令を出し、地方自治体はそれを受けて各自の事情に応じた対策を採り、国民はそれに協力したのであった。そして現在、コロナ禍第一波は取り敢えず沈静化の方向に傾き、2波、3波への懸念があるが、日本人の忘れっぽい気質は日常に戻りつつある。私達はこの時代の証人として、正しく事実を受け止め未来に伝え続ける義務がある。
「マスク着用は永遠のファッションになる」
実はマスク着用は、このまま未来に引き続くファッションになる。それは人間自身が作った次なる大きな物質文明の負の遺産、膨大な化石燃料から得た便利なくらしの、マイクロプラスチックが今や天空大地海に溢れ、具体的には呼吸で肺に蓄積され、水・食糧からは人体ばかりか、生態系の未来まで危ぶまれる現実にあるからだ。(ある医師によると、マスクの御蔭で今年のインフルエンザは三分の一に減少したとの事)
「先ずは優しい自然と 生きものと 最新技術との調和を」
ここに二つの対照的なイメージの事象を提示し、未来の糧になればと考える。
山羊は空を見上げ何かを訴えかけている?
先日、山梨にあるリニア中央新幹線見学センターと実験線の下一面に拡がるクローバー畑には山羊の天国が見えた。筆者はそれを楽しんでいる家を訪ねた。
クロ−バー畑の三頭の山羊。親子水入らずの幸せな時間よ永遠に・・・
東名から快適な新東名を走り、途中幾つかのSAに立ち寄ったが、そのガランとした施設の印象は、最早、過去には戻れないのか…と思うような寂寥感さえあった。観光バスは1台も見当たらず、パーキングから溢れる大型トラックの運転者もレストランではなく車内で済ます。これは異常事態ではなく、予測されるビジョンのない国々(我が国を含む )の格差と混迷・渾然とした環境に甘んじた、世界のバーチャルシミュレーションの姿だと思う。
またシーズンには観光で混雑する御殿場からの途中は、今美しく静かな新緑と富士の姿に対して、沿線の建物や看板の廃れようには、不思議に 《みんなどこへ行った・・・》の歌が聞こえて来るような景観であった。
富士山は泣いているのか⁉
富士山と静かな高速道。開通以来何度も通ったが初めて見る光景である…
この度の新コロナ事件は2050年に日本は世界で最も悲惨な国になる予測のシミュレーションとも言える事件である。だから新コロナ規制の産物を正しく受け止め、忘れずに未来へ進もう。
と言っても過去のウィルスによるパンデミックは忘れ、現在毎年、今回のコロナより多いインフルエンザの死者は日本で1万人、世界で25~50万人。日本の子供を含めた自殺者は2万人前後で推移。24時間以内の交通事故死者は多い年は1万数千人であり、今年現在でも既に3千数百人であるという。
「ソシアルディスタンス・フィジカルディスタンス」
新型コロナ禍について、既に国民はマスコミを通じて予防のためにマスクや"三密"など、 そして"ソシアルディスタンス"、"フィジカルディスタンス"等のキーワードは今や市井でも日常的な合言葉になった感がある。
私達環境デザイナー間において普通に使う用語であるが、これは健常者間の話で、弱者・身障者には介護職や当事者に対しては誠に心ない差別扱いを生む設定でもある。大勢の論理で動く人間社会は、ある時点ではあることに集中的に偏く。揚げ句その物事を既成事実化する生き物である。
この度は心の文明の未発達と社会意識の低下、むしろ衰退化さえ痛感する。
明治以降のわが国は、西欧の物質的感性は学んだが、持ち前の繊細な感性と大切な心を失った。ここで言う"ソシアル"も"フィジカル"も規則や数値に過ぎず、環境で心が不安定になると人は幸せではなくなる。
環境・景観は漠然とではなく、距離による見え方や色彩の変化も物理生理心理的的な視点と 同時に大自然をも含んだ広い視野と温かい感性の総合体で見ることが大事である。
掲出の画像の子ヤギに限らず、ヤギは身を守る(生きる安全の)ため、高い崖を駆け上る本能と能力がある。
表題の画像の子ヤギ元の牧場で、囲いの外でぶらぶらしていた大人の山羊が、あの太ったお腹をものともせず、いきなり助走なしで人の背ほどもあるフェンスを軽々と飛び越え、皆のいる中へ平然と戻ったのを見た。この子も画像のように必ず天辺にのぼる。文字や道具を持たない生き物たちの方が人間より生きる能力を退化させず受け継ぎ優れているようである。
左様に人類も古代から備わった野生的能力を大切に、現代文明においても忘れること無く心の高みを目指し、自分の個性や能力に合った自然に暮らせることが、次世代と未来の幸せに繋がると思う。
家屋敷はリニア中央新幹線実験線に分断されながらも、現在は自然な暮らしを保持しているが、リニア運行開始の数年後には、6分おきに一瞬何が起きたのか分からなくなる轟音と電磁波に襲われる日が来るらしい。・・・‼
僅か数十分早く肉体を電磁波によって運ぶ意味は、オンライン授業や在宅テレワークの出来るこの時代に、果たして必要なのだろうか・・・?
これが心身に与えるストレスとはどれ程のものか?また、自然界に及ぼす影響とは?…前以ての検証は当然行われている筈である。議論を穏やかに公平に進めるにも、未来のためにデータの公開はすべきである。
「和をもって尊しとなす」
和をもって尊しとなすとは、聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条にあり、紀元前数百年前の孔子の論語に由来する。物事を穏便にというご都合主義の解釈をする向きがあるが、それは間違いである。「和」とはおだやかに話し合い、より良い答えを出すことを意味する。
日本人は物事をトコトン深く追求しない国民であると言われる。
リニアもさることながら、静岡県の異議申し立ても、沖縄の辺野古移転の問題も、原発メルトダウンの問題も、様々な事実を隠さず明らかにした上で、国民の未来を見据えた根本からの議論の上に、より良い結論を導き出すことが、民主主義の目指すところであろう。
明治以降現代まで多くの公害や災害、戦禍の問題にしても、未だ後遺症に苦しむ人があるが、その悲惨さを自身のこととして歴史に学ぶ時である。日本人の隠蔽体質は決して幸せな未来を約束しない。
また人間の心と美しい自然環境とハイテク技術の調和はどうあるべきか。せめて誰もが享受する権利である自然景観との配慮を忘れては、地域にも世界へのアピールにも、リニアというモノ本体だけでは世界に通用しない。
南アルプスの土手っ腹を無理やり抉り、景色どころかひたすらエアシューターのカプセルよろしくすっ飛んで行く。
都会では、めったにお目に掛かることの無い、日本一毒性の強い蛇ヤマカガシ
今のヤギさんの天国も一瞬時間が止まり、数分後に次々にこの豊かで水清く、山菜や野草、動物や鳥や魚、虫たちや、日本一毒性の強い蛇ヤマカガシの天国も、どのように共存する決着を見出せるか、技術と自然との乖離はかなり大きい。
実験線センターで実物や展示を見て感じたのは、余談ではなく、40年前に私がデザインした小振りで傾斜路線に強く、トンネルの径も小さくて済む、当時リニア電車とよばれたヒューマンスピードの車両でも十分ではないかと考える。人口も減り穏やかな成熟社会が目の前に迫るからである。大切なことは太平洋戦争の空の時代に国を挙げて世界一の大鑑巨砲の大和、武蔵を建造し、何も出来ず海の藻屑にした明治以降の時代錯誤の歴史に今一度真摯に学ぶことがある。
左上:リニアのLを直線的にイメージした試作車両第1号 右上:都市空間に優しくした大江戸線リニア車両 下:その中間のデザイン大阪南港リニア実験線車両 (日立製作所、日本車輌等)車両デザイン 林 英光
まとめ「ピンチは大きな進化へのチャンスである」
物質文明の次なるもの イーハトーブ & ダイバーワールドなのか
癒やしの大自然とリニア走行環境は共生出来るか?
自然や人工物、その他のことで、人の心が幸せになる方法とは何か?
戦後、貧しかった日本は 夢中で這い上がった。GNP(国民総生産)で確かに世界に向かってJapan as no.1 と言わしめた時代もあった。しかし、それは経済優先主義の、貧富格差、地域格差、弱肉強食の思想を招いた事実を忘れてはならない。
今なお日本国民の大半は決して幸せ感を抱いていない。何かが欠けているのである。
個人として、組織として、業界として、社会全体として新たな未来のパラダイムに、為すべき何かがあると思う。それは人の心と自然環境の回復である。
宮沢賢治の後ろ姿とは・・・
羅須地人協会(花巻市)これが賢治の私塾!
世代によっては、懐かしさと新しさをを感じる宮沢賢治ゆかりの木造の建物です。
1926年、賢治はここで農民たちに農業技術や農業芸術論などを講義したのでした。
現在は、県立花巻農業高等学校地内に移築復元されており公開中(10名以上は要予約)
「欲望の物質文明からの脱皮」。
それこそが私達デザイン・設計・色彩関連の研究や実践に携わる者が、環境や物事のデザインをとうして果たすべき役割、その欠けたものを補うことが課せられた使命である。
モノと理屈と感性の統合・融合する「混在」又は「混合性」と言う考え方は、世界に類を見ない我が国の新旧・様式・秩序の混濁したバラック景観の、国土・都市環境の改善には欠かせない思想であり、自由で差別のない未来都市環境づくり、ダイバーシティー:人種・国籍・性・年齢・貧富・障害の有無は問わない、加えて大自然への慈しみこそ世界共通の未来への基本テーマである。
身近なこの度のテーマ、ポストコロナは、その第一歩である。
そして、表題の主役は新型コロナ。この度のパンデミックの教訓は以前にもあった病原菌によるパンデミック同様、既に終わったことにせずに、今日までの物質文明への反省材料として学び、次世代へ伝えられる行動を起こせるのか。
それが表題 「ウイズコロナ & ポストコロナ」への答えである。
# エドワード・ホールは人間の生存やコミュニケーション・建築・都市計画など “空間"利用を生物学的な面から視覚・聴覚・嗅覚・筋覚・温覚のかくれた構造を捉え、さらに国や民族により異なる私的・公的な空間への知覚に関しても、人間の動物的本性に根ざしていることを再確認する統合的指標を提示した。
#イーハトーブ 宮沢賢治の提唱する理想郷 ラテン語由来とも
【寄稿文】 林 英光
環境ディレクター
愛知県立芸術大学名誉教授
協力(敬称略)
一般社団法人 花巻観光協会 〒025-0004 岩手県花巻市葛3-183-1 電話TEL.0198-29-4522
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