観音様は水の化身
「地・水・火・風・空」は仏教における自然を構成する五大元素とされています。
実は、皆様ご存知の観音様は水の化身になられるのです・・・
心眼を開き、さらに凝らして眺めて下さい。水の化身である観音様の御姿が・・・
赤紫の花を纏い岩の上や、木立の間で、ご覧になれる筈です・・・
大船渡市三陸町越喜来
心眼を開き、さらに凝らして眺めているうち…水の化身である観音様の御姿が・・・
(古のご先祖や幼子には視えたようで…ケガレる程見えないとか…残念!小生には視えない)
自由自在に姿や形を変える流水や、岩と岩の小さな自然の祠でご覧になれますよ~
大船渡市三陸町吉浜
ここにもあった観音の里(番外編)
大自然の中の青、緑、黄、そして集落のほんの僅かな赤い屋根。
世界の何処にでもありそうだけれど何処にもない、大自然が主役になった雄大且つ贅沢な眺め…気仙の春の日の午後。時よ止まれ~!心地よい景観に癒されて・・・
陸前高田市横田町
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いま世界的に新型コロナパンデミックの真っ只中ですが、日本ではこれに追討ちをかけるように、7月初旬には「令和2年集中豪雨」と命名された災害で熊本県や岐阜県において沢山の方々が犠牲者となられ、大きな被害を蒙ったばかりです。
この度は9年前の東日本大震災において未だ復興途上にある三陸地域のニュースをお届けするに当たり、改めて犠牲となられたすべての方々へ謹んで哀悼の意を捧げるものです。
合掌
編集局記
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気仙三十三観音巡り
気仙三十三観音とは
概要
気仙地域の観音霊場巡りのために選ばれた、2市1町にまたがる33の寺院。気仙町の泉増字を一番札所とし、高田町の浄土寺まで三十三番札所があります。現在の市町別では、大船渡市に6カ所、陸前高田市に21カ所、住田町に6箇所の札所があります。
由来
気仙三十三観音は、江戸中期、享保3年(1718年)春から、高田村の検断役(大庄屋)・佐々木三郎左衛門知則が父母の追悼供養のために選定したと、『気仙風土草』に記されています。
常膳寺 観音堂
気仙三十三観音 二十七番札所
常膳寺 観音堂とは
常膳寺は、はじめは天台宗だったものが、のちに真言宗となり、現在は金剛寺(気仙町)の末寺となっています。箱根山登り口の急な長い坂道をまっすぐ進むと、杉林の中に苔むした石段が続き、県指定天然記念物の「姥杉」(うばすぎ)がその枝を天空に広げ、日光をさえぎっています。
大同2年(807年)開基。ご本尊は十一面観音菩薩(秘仏)。
気仙三観音の一つで、「早虎」という鬼を葬ったという坂上田村麻呂伝説が残っています。
気仙郡小友村は気仙大工発祥の地といわれるだけあり、歴史を漂わせる観音堂は随所に匠の技が光ります。岩手県陸前高田市小友町字上の坊24
立山観音堂
気仙三十三観音 二十八番札所
立山観音堂とは
「立山」という屋号の家が近くにあり、名称の由来となっています。
堂内の観音像は高さ約30㎝で、台座部分を除くと尊像は正味20㎝ほど。左右に色あざやかな脇仏が2体あったが、3. 11の大津波によって御堂も仏像も全て流失してしまいました。聖観音菩薩(秘仏)は依然、行方がわかっていません。岩手県陸前高田市米崎町字堂ノ前
海岸山 普門寺
気仙三十三観音 二十九番札所
海岸山 普門寺とは
海岸山の山号は、最初に寺のあった場所が地竹沢の海岸近くだったので海岸山とした。寺の名は本尊が聖観音菩薩だったので「観音普門品」のお経の「普門」をとったことが寺仏「住山記」に記されています。
同寺の開山は記外和尚、開基は仁治2年(1241)金右馬之助、安倍定俊。天台宗だったこの寺は、永正元年(1504)石鳥谷町の大興寺十世如幻充察を迎え、曹洞宗に改宗し、現在地に移転した。県指定の天然記念物の百日紅(サルスベリ)、三重の塔と唐金大仏、本尊は55㎝ほどの聖観音座像と見所も多い。陸前高田市米崎町字地竹沢181
大石観音堂
気仙三十三観音 三十番札所
大石観音堂について
矢作栄一さんかたにある大石観音堂。長年の風雪に耐えてきた建物も、ここ数年老朽化が目立ち、現在は自宅で大切にお守りしています。観音像は高さ50㎝ほどの千手観音立像で、1mの厨子の中に納められています。頭の部分にも顔がたくさんあり、千手と十一面の複合型というありがたい観音様ということになります。広い庭先には、推定樹齢300年、地元では「大石の高野槇」と呼ばれる巨木があり、ランドマークとなっています。
陸前高田市高田町字栃ケ沢20
冰上(ひかみ)本地堂
気仙三十三観音 三十一番札所
冰上本地堂について
本地とは冰上山頂に置かれた神仏混淆の霊験あらたかな聖地を指す。明治に入り、神仏混淆禁止令が発せられると神は神、仏は仏と、神社と寺院は完全に分離しました。「気仙
風土草」によると、観音(如意輪観音)は冰上三社権現「東の御殿」「中の御殿」「西の御殿」の中の「中の御殿」ということになっています。東の「薬師」、西の「弥陀」とともに、丸い板の面に「像」が深く刻みつけられていたと、古記にあり、地元の人は冰上山を「お山」と呼ぶ。ご来光を仰ぐ山ということで「日神」が「冰上」になったという説もあります。陸前高田市高田町字西和野83
坂口観音堂
気仙三十三観音 三十二番札所
坂口観音堂について
「坂口」という 呼び名については、地元の人でも「よくわからない」ということであるが、現在、別当寺である光照寺の登り口にお堂があるとことからついたのだろうか。「気仙風土草」では千福寺は村寺として慶長10年(1605)今泉の金剛寺によって開基されたことになっています。享保3年(1718)ごろはまだ「千福寺観音」と呼ばれていたが、のちに現在地に移されてからは「坂口観音」の名前で通っている。3.11大津波で流失したが、光照寺境内に観音堂が再建された。陸前高田市高田町字寒風60
厭離山欣求院 浄土寺
気仙三十三観音 三十三番札所
厭離山欣求院 浄土寺について
三十三番札所は、厭離山欣求院・浄土寺。天正2年(1574)開基。
古色蒼然とした幽玄の地に佇む。長かった気仙三十三観音巡礼もこの納堂で終わります。
本堂手前脇に観音堂があります。昔の巡礼者たちは、草鞋、菅笠など身につけたものを、感謝の気持ちを込めてこのお堂に納めました。町内随一の伽藍を持つ入母屋造りの本堂は、桃山様式の建造物としても有名。風雪に耐えてきた風格が漂う。三陸三十三観音霊場の二十番札所にもなっています。
2011年の東日本大震災では本堂まで被災したが、流失はまぬがれ改修されました。
陸前高田市高田町字洞の沢26
気仙の皆様のご協力で、やっと三十三観音を巡ることが出来ました。
どうか皆様にご利益がありますように・・・ 合掌
参考
ZIPANG-2 TOKIO 2020~不思議な不思議な町 遊佐・ゆざ~(その1)「鳥海山はわが理想の幻の山なりき・・・ 森 敦」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5027900/
ZIPANG-2 TOKIO 2020~不思議な不思議な町 遊佐・ゆざ~(その2)「十六羅漢岩は海の男たちへの 諸霊供養 と 日本海の海上安全祈願の為」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5032857/
ZIPANG-2 TOKIO 2020~不思議な不思議な町 遊佐・ゆざ~(その3)「神が住むという山『鳥海山』昔むかし、その昔から遊佐の人々は鳥海山の湧水と共に生活をしてきました。」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5033605/
ZIPANG-2 TOKIO 2020~不思議な不思議な町 遊佐・ゆざ~(その4)「【出羽國一之宮】鳥海山大物忌神社 古代から現代に至る信仰の山とは・・・」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5045738
ZIPANG-2 TOKIO 2020~不思議な不思議な町 遊佐・ゆざ~(最終話)「祭りとは人類にとって祖霊との交信儀礼なのか?鳥海山の修験者から伝わる遊佐のまつり」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5055720/
続く・・・
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
協力(順不同・敬称略)
東海新報社
気仙伝統文化活性化委員会
〒022-0002 岩手県大船渡市大船渡町鷹頭9−1 電話: 0192-27-1000
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111
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