お読みくださりありがとうございます
今回でこの「全国の姥神行脚」も20回目となります。私の拙い紀行文をご愛読いただいているみなさん、誠にありがとうございます。
思えば20年ほど前に私の住む町のちょっとした里山の山奥に奪衣婆像がある、と案内してもらい、その幻想的な風景に感銘を受け、なぜ奪衣婆像がわざわざ里山の山奥に単独であるのか疑問に思い調べ始め、現在はこのような紀行文を掲載させていただけるようになりました。
これまで、また、現在も様々な方にお世話になり、その皆様方にこの場をお借りし感謝申し上げます。
新宿太宗寺 閻魔像と一緒に祀られている奪衣婆像
新宿太宗寺の閻魔像
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いま世界的に新型コロナパンデミックの真っ只中ですが、日本ではこれに追討ちをかけるように、7月初旬には「令和2年集中豪雨」と命名された災害で熊本県や岐阜県において沢山の方々が犠牲者となられ、大きな被害を蒙ったばかりです。
この度は9年前の東日本大震災において未だ復興途上にある三陸地域のニュースをお届けするに当たり、改めて犠牲となられたすべての方々へ謹んで哀悼の意を捧げるものです。
合掌
編集局記
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地獄信仰と奪衣婆
山形県山辺町作谷沢の姥神像
奪衣婆を調べるところから
私が最初に姥神像に案内してもらった時、奪衣婆として紹介していただきました。やはり一般的には奪衣婆という名の方が浸透しているのだと思われます。以前にも紹介しましたが、奪衣婆はあの世の三途の川のほとりで亡者の衣を脱がせ、その重さで生前の罪を計る存在です。
この奪衣婆の存在は、鎌倉―室町時代頃から民間に広まったとされています。平安のころに地獄信仰が広まったとされますが、その中で様々な書物に地獄のことが述べられています。特に平安時代末期から鎌倉時代の間頃に書かれたとされる『地蔵十王経(地蔵菩薩発心因縁十王経)』で初めて奪衣婆という名が使われたとされ、この時、奪衣婆が脱がせた衣を木に懸ける役割の懸衣翁と一緒に登場しています。
この地蔵十王経は中国で晩唐(900年頃)に書かれたとされる『預修十王生七経(閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経)』をもとにしているとありますが、こちらには奪衣婆等の記述がみられません。そのことなどから、奪衣婆、懸衣翁は日本で創作されたと考えられています。
地獄絵のなかの奪衣婆
また、平安中期、長久年間(1040-1044年)に書かれたとされる法華験記に嫗(おうな)の鬼、また、三途の河の嫗という表現で、亡者の衣を奪う存在が登場しています。さらに地獄信仰を広めた書物として、平安後期(985年)の『往生要集』がありますが、これに奪衣婆の記述は特にありません。そして地獄絵に奪衣婆の姿が確認できるのは鎌倉時代以降です。
立山の閻魔堂
全国で閻魔像が祀られている所は多数ありますが、一緒に奪衣婆像も祀られることも多く、奪衣婆は大変大きな存在感を持っていたのだと思われます。
以前、立ち膝で座る形について、コメントを寄せてくださった方がいましたが、韓国の歴史ドラマでよく見られるように、古くは女性の一般的な座り方で、日本でも昔はこの座り方をしていたと考えられ、女性を表すのに一番の表現だったと考えられます。
(冒頭に掲載した新宿太宗寺の奪衣婆像をご参照ください。)
川村氏は、「地獄めぐり」のなかで奪衣婆と姥神を考察しており、その姿から産婆や洗濯する女性との関連を指摘しています。姥神が安産に霊験があるのもこの姿からの連想だと私も思っています。
和歌山県高野山の女人堂
立山から全国へ?
あくまで私見であり、論拠に乏しいですが、南北朝時代の姥神像があること、その信仰形態がかなり大きかったことから立山では以前、それこそ平安時代より前から山の神として女性神、つまり姥神を祀っていたのではないかと思っています。それが、修験道の広がりの中で高野山の女人堂をモデルに姥堂となったのではないかと思われるのです。女人堂は女人禁制の場所を示すものであり、この性質が姥堂にも引き継がれたのではないでしょうか。
立山布橋灌頂会
立山曼荼羅(奪衣婆と姥神が一緒に描かれています)
また、今昔物語や先の法華験記などの記述に見られるのですが、古くから立山には地獄があるという話が広がっていました。そこから、立山の姥神が奪衣婆とされたと考えることができるのではないかと思います。奪衣婆が民間に広まると同時に立山の姥神信仰自体も全国に広まり、姥神と奪衣婆が混同され、複雑な信仰形態になっていったのではないでしょうか。
江戸、咳の姥神を風刺した錦絵
これらの論はもちろんまだまだ証明はできず、想像にすぎませんが、他の神々の信仰もそうであるように、姥神信仰も全国に広まるなかでそれぞれの地域の様々な信仰と習合し、複雑な信仰ができたことは間違いないと言えます。
参考文献
「往生傳 法華験記」、岩波書店、一九七四年
「地獄めぐり」、川村邦光、ちくま新書、二〇〇〇年
続く・・・
寄稿文
廣谷知行(ひろたに ともゆき)
姥神信仰研究家
参考
ZIPANG TOKIO 2020「河童の寺 栖足寺の水の流れが心を洗う 伊豆最古の『十王図』五道転輪王とは?」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3516013/
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