10年にわたる方丈修復前、最後の特別公開になります。
法堂並びに狩野探幽筆 法堂天井画「雲龍図」(重要文化財)
絵師・狩野探幽(かのうたんゆう)35歳の時の力作。法堂内で手を叩くと、まるで龍が鳴いたように音が響くことから「鳴き龍」とも称されています。
大徳寺
京都市紫野(むらさきの)船岡山の北辺に広大な境内地を有する臨済宗大徳寺は、元応元年(1319)、東山に遁世していた宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)が、播磨の武将赤松則村の援助でこの地に大徳庵を作ったのに始まり、正中元年(1324)、妙超に厚く帰依した花園・後醍醐両天皇が船岡の雲林院(うじゐ)の跡地を寄進したことによって寺基を拡張し、龍宝山大徳寺として開山しました。
妙超は入宋して日本臨済禅特に公家禅宗に多くの人材を残した南浦紹明(なんぼしょうみょう)の門下であるが、若くして天下の諸禅師を歴参し、京都に帰って天台・真言の旧仏教と論争して禅旨を明確にするに及び、その純粋に宋朝風の禅が朝廷の尊信をえたものであって、妙超は興禅大燈国師の号を賜わり、大徳寺は勅願所とされたのであります。
鎌倉幕府滅亡の元弘三年(1333)、大徳寺は五山の一に加えられ、翌建武元年(1334)には五山第一の南禅寺とならんで五山の上位に列しました。これは建武新政権によって京都中心の五山制度が定められた結果であります。その間、大徳寺は妙超の門派のみが相承することを特許されていました。その二高弟のうち、徹翁義亨(てっとうぎこう)は大徳寺を継いでその基礎を固め、関山恵玄(かんざんえげん)は妙心寺を開いたのでした。
しかし建武の新政が瓦解して足利政権が成立すると、後醍醐天皇と関係の深かった大徳寺は足利将軍家から軽んじられ、五山から除かれてしまいました。
至徳3年(1386年)には、十刹の最下位に近い第9位となっています。
このため第二十六世養叟宗頤は、永享3年(1432年)足利政権の庇護と統制下にあって世俗化しつつあった五山十刹から離脱し、座禅修行に専心するという独自の道をとったのでした。五山十刹の寺院を「叢林」(そうりん)と称するのに対し、同じ臨済宗寺院でも、大徳寺や妙心寺のような在野的立場にある寺院を「林下」(りんか)といいます。
その後の大徳寺は、貴族・大名・商人・文化人など幅広い層の保護や支持を受けて栄え、室町時代以降は一休宗純をはじめとする名僧を輩出しました。
侘び茶を創始した村田珠光などの東山文化を担う者たちが一休に参禅して以来、大徳寺は茶の湯の世界とも縁が深く、武野紹鴎・千利休・小堀遠州をはじめ多くの茶人が大徳寺と関係をもっています。また国宝の塔頭龍光院密庵(みったん)など文化財に指定された茶室も多く残っているのです。
このため京童からは「妙心寺の算盤面」「東福寺の伽藍面」「建仁寺の学問面」などと並んで「大徳寺の茶面(ちゃづら)」と皮肉られました。
享徳2年(1453年)の火災と応仁の乱(1467–77年)で当初の伽藍を焼失しましたが、一休宗純が堺の豪商らの協力を得て復興。近世以降も豊臣秀吉や諸大名の帰依を受けたのです。
江戸時代初期に幕府の統制を受け、元住持の高僧・沢庵宗彭が紫衣事件で流罪の圧迫を受けましたが、三代将軍家光が沢庵に帰依したこともあって幕府との関係ものちに回復したのでした。近世には「二十四塔頭、六十寮舎・子庵」あるいは「二十四塔頭、准塔頭五十九宇(「六十五宇」とも)」などと呼ばれ、末寺は25ヶ国280余寺、末寺の塔頭130余院を数えるほど栄え、朱印地は2011石余を有したのです。
この広大な寺領が大徳寺の経済的基盤であったのですが、明治維新後の上知令によって多くを失ってしまいました。なんとか堂宇を維持するため明治11年(1878年)、塔頭13寺を合併(事実上廃絶)、4寺を切縮、20寺を永続塔頭とする縮小を行う事で、寺運は栄え今日に至っています。
山門(金毛閣)
千利休が建てた金毛閣は、この楼上に利休の木像を置いたことから秀吉の逆鱗に触れ、利休切腹の要因になったことでも知られています。現在、利休の木像はご位牌と共に裏千家に祀られています。
大徳寺本坊の特別公開
後醍醐天皇が「本朝無双之禅苑」と評し、歴史に名を遺す多くの名僧を輩出した大徳寺の中心、大徳寺本坊の特別公開が9月5日より始まります。
今回は国宝の方丈が10年にわたる修復に入る前の、最後の特別公開となることに加え、新型コロナウィルス流行の影響を鑑み、自由拝観形式ではなく完全予約制にて時間毎にツアー形式で拝観していただきます。
今までの特別公開では国宝の方丈、唐門に加え、法堂(重要文化財)に描かれた狩野探幽の「雲龍図」、同じく狩野探幽が描いた方丈襖絵(重文)をご拝観いただいておりました。今回はそれに加え、方丈室内にお入りいただいて狩野探幽の襖絵を間近にご覧いただけるほか、鐘楼、経蔵、山門(金毛閣)を専門のスタッフが案内いたします(3つ共に外側からの拝観)。
方丈庭園と唐門(国宝)
京都の豪商・後藤益勝の寄進により再建されました。重要文化財である狩野探幽筆の障壁画や、日本に36件のみ存在する特別名勝の方丈庭園を有します。前庭は天祐和尚、東庭は小堀遠州の作庭で、江戸時代初期を代表する枯山水となっています。
大徳寺 方丈 (国宝)
大徳寺 方丈 縁側(南)
大徳寺 室中
狩野探幽筆 方丈障壁画(重文)
狩野探幽は狩野永徳の孫にあたる江戸初期の天才絵師。若年期には大胆な構図の作品を描きましたが、大徳寺では水墨を主体とし、余白を美しく取った端麗で詩情豊かな画風で描いています。
唐門(国宝)
聚楽第の遺構を移築したもので、「桃山の三唐門」のひとつに挙げられます。精巧な彫刻や豪華な金具で装飾されており、彫刻を鑑賞しているだけで一日が終わってしまうとされたことから、「日暮門」とも呼ばれています。
公開内容
住職の居住空間としての性格も持っていた大徳寺の方丈(国宝)は江戸時代初期の建築で、法堂や仏殿などの伽藍が中国風なのに対し、方丈は日本様式となっています。開山である大燈国師の塔所「雲門庵」を中心とした独特の造りであり、室中には江戸時代の絵師・狩野探幽筆の障壁画84面が当時の姿のまま残っています。
今回の特別公開では、狩野探幽筆方丈障壁画を初めて間近で拝観していただきます。今年の秋からおよそ10年をかけて方丈が修復に入るため、今回が修復前の見納め公開となります。
また、同じく狩野探幽が35歳の時に描いた法堂(重要文化財)の天井龍や国宝の唐門をご案内。経蔵や浴室、千利休が寄進した金毛閣を間近で拝観するなど、普段は見ることができないコースで大徳寺の本山を拝観するツアーです。
拝観のご案内
拝観期間
2020年9月5日~9月27日
狩野探幽筆 法堂天井画「雲龍図」(重要文化財)
公開箇所
方丈(国宝)
狩野探幽筆 方丈障壁画(重要文化財)
方丈庭園(特別名勝・史跡)
法堂並びに狩野探幽筆 法堂天井画「雲龍図」(重要文化財)
唐門(国宝)
鐘楼 ※外からの見学(内部には入れません)
経蔵 ※外からの見学(内部には入れません)
山門(金毛閣)※外からの見学(内部には入れません)
拝観休止日
9月7日・15日は終日休止
拝観時間
11:00~14:00 完全予約制(20日前から受付開始、6日前に受付終了)
30分ごとに人数を限定して入場、ツアー形式で拝観
※中学高校生のご予約は、お電話してください。
拝観料
大人3,000円・中高生1,000円
小学生以下拝観不可
お問い合わせ先
京都春秋
TEL 075-231-7015 / FAX 075-231-6420
Email:info@kyotoshunju.com
※お申込みは京都春秋HPより
ご注意事項
以下の事項について、予めご了承ください。
①完全予約制となっておりますので、必ずご予約の上お時間前までにご来場ください。
②開始時間が過ぎてからの途中入場はできません。ご予約時間までに大徳寺本坊受付までお越しください。
③6日前までにご予約のない日は公開いたしません 。
④中学高校生、障害の有る方はこちらのサイトでご予約せず、直接「京都春秋」TEL075-231-7015へご予約をお願いいたします。
⑤境内は撮影禁止です。
⑥小学生以下の方の拝観はできません。
⑦文化財保護のため、大きなお荷物は所定の場所でお預かりいたします。
⑧建物の構造上、車いすでの拝観はできません。
⑨杖をお使いの方のため、杖カバーをご用意しております。
⑩境内ではスタッフの指示に従ってください。拝観の妨げになると判断した場合は、拝観料をご返納の上、お引き取りいただきます。
⑪暴風警報や大雨警報、地震など、文化財保護の為や拝観に来られる方に危険と判断した際は、事前の予告なく拝観休止とさせていただきます。休止を決定した時点で当HPやFacebook、Twitterにてお知らせいたします。
⑫感染症予防のためマスクの着用の上ご来場をお願いいたします。 尚、ご体調の悪い方は参加をお控えください。
⑬入場時に非接触型の検温をさせていただきます。
⑭新型コロナウイルス感染拡大や緊急事態宣言の発表等、情勢によっては公開を中止する場合もございます。
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いま世界的に新型コロナパンデミックの真っ只中ですが、日本ではこれに追討ちをかけるように、7月初旬には異常気象による局地的な集中豪雨現象が各地に発生しております。気象庁はこれを称して、「令和2年集中豪雨」と命名しました。
特に熊本県南部、川辺川・球磨川流域を中心とした地区では急激な増水濁流で81名の方々が死亡、行方不明となられる一方、岐阜県下では広範囲に亘る崖崩れや土砂災害、幹線道路の崩落で交通網の遮断。飛騨川流域を中心とする地域では家屋の損壊、浸水等の被害がありました。
ここに謹んで被災された方々への御見舞と共に尊き命を犠牲にされた方々へ深く哀悼の意を捧げます。
残された私達はその戴いたメッセージを正しく新しい未来へと生かす事を誓い祈念するものであります。
編集局記
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鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
協力(順不同・敬称略)
龍寶山 大徳寺 〒603-8231 京都市北区紫野大徳寺町53電話 075-491-0019
京都春秋 〒604-0832京都市中京区間之町通二条下ル鍵屋町482 TEL 075-231-7015
文化庁〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号電話番号(代表)03(5253)4111
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