はじめに 記事をお届けするに当たり、今夏、関東・東北地域を直撃した、強烈な台風19号と、続く21号の記録的な大雨で、千葉や栃木、福島など5県の34河川で浸水被害や土砂災害により亡くなられた方々を始め、多岐に亘って被災された皆様へ心よりお見舞い申し上げます。また、このたび我が国の世界遺産である沖縄のシンボル首里城の正殿等主要部分の全焼被害が続き、国民として深く哀悼の意を捧げつつ…
国指定名勝「鵜戸神宮 本殿」
本殿が丸ごと洞窟の中にあり恰も胎内に包まれるが如き神秘的な雰囲気を湛えています。
山幸彦と結ばれたトヨタマヒメが主祭神 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこ なぎさたけ うがや ふきあえず の みこと)を出産した謂れのある宮とされ、安産祈願のメッカとして今も
厚い信仰による参拝者の絶えることがありません。
「運玉」は、5個1組で、海側にある亀石の背にあるくぼみに向けて、男性は左手で、女性は右手で投げます。
願いを込めて投げ、入れば願いが叶うといわれています。価格は5個で100円です。
鵜戸神宮のある日南市とは
沿革
日南市は、平安朝時代に藤原系荘園として開拓され、日向八院※の一つ飫肥院のあった所と伝えられています。
※日向八院とは、現日南市を含む日向国は、明治初期まで「五郡八院」と呼ばれ、行政区間五郡(臼杵郡、児湯郡、宮崎郡、那珂郡、諸方郡)と、租税区間八院(真幸院、三俣院、穆佐院、新納院、飫肥院、土持院、櫛間院、救仁院)により統治されていました。
鎌倉時代に工藤祐経を祖とする伊東氏が日向地頭職に任ぜられて以後、戦国時代を通して飫肥城をめぐり伊東氏と島津氏による争いが続きましたが、天正15年(1587年)、豊臣秀吉の九州攻略に功があった伊東氏が支配することになりました。
江戸時代後期には藩校振徳堂を中心とした人材育成に力が注がれ、明治の外交官・小村寿太郎侯等、多くの人物を輩出しています。
昭和25年1月1日に吾田町、油津町、飫肥町、東郷村が合併し市制を施行。昭和30年2月1日に鵜戸村と細田町、昭和31年4月1日に酒谷村と榎原村大窪地区が合併し現在の日南市になりました。
温暖な気候を生かした超早場米やみかん等の農業、飫肥杉による林業、マグロ・カツオの遠洋漁業、王子製紙(株)日南工場が本市の基幹産業です。
森林の中にポッカリと浮かび上がる坂元棚田
飫肥城下町楽市楽座
堀川運河いかだ流し
観光地としては、全国的に知名度の高い鵜戸神宮や日南海岸、国の重要伝統的建造物保存地区である飫肥城下町、堀川運河と油津の町並み、酒谷坂元棚田など多くの観光資源に恵まれ、毎年沢山の観光客が訪れます。
平成10年に東九州自動車道北郷日南間が整備計画路線となり、また、平成11年には油津港東ふ頭に水深12メートルの岸壁が完成するなど、港湾機能の整備によって国内外の定期航路が開設され、本格的な国際貿易港として発展してきています。
平成13年度から平成22年度まで、日南市の未来像となる第4次総合計画を策定し、「太陽と海 みどりの山々 歴史と文化のかおる都市」をシンボルテーマに新たなまちづくりが進められています。
鵜戸神宮
ご由緒
山幸彦(彦火火出見尊)が、兄(海幸彦)の釣り針を探しに海宮(龍宮)に赴かれ、海神のむすめ豊玉姫命と深い契りを結ばれた。山幸彦が海宮から帰られた後、身重になられていた豊玉姫命は「天孫の御子を海原で生むことは出来ない」とこの鵜戸の地に参られました。霊窟に急いで産殿を造られていたが、鵜の羽で屋根を葺終わらないうちに御子(御祭神)はご誕生になられました。故に、御名を「ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと」と申し上げます。
御祭神
日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊 (ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
大日孁貴(おおひるめのむち)《天照大御神》
天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
彦火瓊瓊杵尊(ひこほのににぎのみこと)
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)《神武天皇》
風光明媚な国定公園「日南海岸」
ご鎮座
当神宮は「鵜戸さん」と愛称され、国定公園日南海岸の風光明媚な所、日南市鵜戸の日向灘に面した、自然の神秘な洞窟の中に、朱塗りの色あざやかにご鎮座されています。
この洞窟は、主祭神の産殿の址と伝えられる霊地で、およそ1千平方メートル(約三百坪)ほどの広さがあり、強烈な太陽のもと、おりなす奇岩怪礁、紺碧の海、波状岩に砕ける白波と、自然の景勝につつまれたロードパーク日南海岸の中心地に当神宮はお鎮りになっています。
沿革
当神宮のご創建は、第十代崇神天皇の御代と伝えられ、その後第五十代桓武天皇の延暦元年には、天台宗の僧と伝える光喜坊快久が、勅命によって当山初代別当となり、神殿を再興し、同時に寺院を建立して、勅号を「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」と賜りました。
また宗派が真言宗に移ったこともあり、洞内本宮の外、本堂には六観音を安置し、一時は西の高野とうたわれ、両部神道の一大道場として、盛観を極めていました。
そして明治維新とともに、権現号・寺院を廃して鵜戸神社となり、後に官幣大社鵜戸神宮にご昇格され、明治を130余年経過した今日、全国津々浦々から、日本民族の祖神誕生の聖地を訪れる参拝者は、四時絶えることなく続いています。
ご神徳・風習
ご神徳
結縁 安産 育児 海上安全
御乳岩
豊玉姫命が御子育児のため、両乳房をくっつけて行かれたと伝えられる「おちちいわ」は安産、育児を願う人々の信仰の拠り所です。
洞窟内にはヒメが皇子のために岩に乳を貼りつけたとされる伝説の「お乳岩」があります。伝う滴から作られた「おちちあめ」をなめると、母乳の出がよくなると信仰されています。
「お乳岩」から滴り落ちる清水で作る「おちちあめ」を母乳がわりにして、御主祭神は育ったといわれています。
このほか、念流、陰流の剣法発祥の霊地(※)として、また漁業、航海の守護神としての信仰も篤く、様々なおまもりがあります。
本殿前磯にある「霊石亀石」
また、本殿前磯にある「霊石亀石」の穴の中に運玉を投げ入れ見事入ると願いが叶うといわれています。運玉は、地元の小学生のみなさんが気持ちを込めて作ったものです。
※剣法発祥の霊地・・・足利時代に剣法の達人と謳われた相馬四郎義元(慈音)が「念流」を愛州移香が「陰流」を当神宮に於いて御神示を受け、創始した事によります。
風習
「シャンシャン馬道中鵜戸詣り」
宮崎の風物詩「シャンシャン馬」の風習は、江戸時代の中期から明治中頃まで行われていました。
鵜戸さん詣りは、七浦七峠と呼ばれる険しくつらい路を、花嫁を馬にのせ、花婿が手綱をとって、鵜戸神宮へ向かい、宮詣りをして家路につくという旅でありました。
「シャンシャン」とは馬の首にかけられた鈴がなる音を表していると伝えられ、現在は、この風習はなくなりましたが、毎年「シャンシャン馬道中鵜戸詣り」を再現する行事や、民謡大会などが行われるなど観光行事として行われています。
宮崎の民謡「シャンシャン馬道中唄」です。
鵜戸さん参りは春三月よ 参るその日が御縁日
参りゃとにかく帰りの節は つけておくれよ青島へ
鵜戸さん良いとこ一度はおいで 一目千里の灘がある
行こか参ろか七坂越えて 鵜戸神社は結び神
鵜戸さん参りに結うたる髪も 馬にゆられてみだれ髪
音に名高い背平の峠 坂は七坂七曲り
中山道 妻籠宿の「花嫁道中」です。下記のリンク記事をご覧ください。
ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~中山道 妻籠宿~ 速報 「11月23日 文化文政風俗絵巻之行列『花嫁道中』開催」のご案内
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5261522
「鵜戸神宮」交通アクセス
飛行機
●宮崎空港バス停 路線バス《日南行・飫肥行・都井岬行》に乗車 ➡(約60分) 鵜戸神宮にて降車 徒歩約10分
●宮崎空港駅➡田吉駅 ➡田吉駅でJR日南線(下り)に乗換
各駅から路線バスで約20分
※伊比井駅からは路線バス《日南行・飫肥行・都井岬行》で約20分
※油津駅前バスセンターからは路線バス《宮崎駅・空港駅行》で約20分➡鵜戸神宮にて降車 徒歩約10分
鉄道
JR宮崎駅➡JR日南線(下り)➡伊比井駅または油津駅にて下車 ➡各駅から路線バスで約20分
※伊比井駅からは路線バス《日南行・飫肥行・都井岬行》で約20分
※油津駅前バスセンターからは路線バス《宮崎駅・空港駅行》で約20分 ➡ 鵜戸神宮にて降車 徒歩約10分路線バス 宮交シティバス停/宮崎空港バス停
《空港・日南行》または《飫肥行》または《空港・都井岬行》に乗車 ➡(約60〜70分)
鵜戸神宮にて降車 徒歩約10分
自動車
宮崎市内から国道220号線で約60分
宮崎ICから国道220号線で約50分
田野ICから県道28号線→国道220号線で約45分
日南市内から国道220号線で約20分
※国道220号線は連続雨量170ミリを越えると通行止め(折生迫〜風田)となります。
迂回路は県道28号線です。
観光タクシー ゆっくり観光を楽しみたい方にはおすすめです。
宮崎県タクシー協会(電話.0985-51-8081)にお問い合せください。
続く・・・
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
協力(順不同・敬称略)
鵜戸神宮 宮崎県日南市大字宮浦3232番地 電話.0987-29-1001
一般社団法人 日南市観光協会 〒887-0005 宮崎県日南市材木町1-13 TEL.0987-31-1134
日南市役所 〒887-0021 宮崎県日南市中央通1丁目1−1電話: 0987-31-1100
宮崎県総合政策部みやざき文化振興課 記紀編さん記念事業推進室
宮崎県宮崎市橘通東2丁目10番1号TEL:0985-26-7099
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
参考
日南市の姉妹都市
那覇市(沖縄県)
昭和44年4月24日 姉妹都市盟約締結
古くから油津港と那覇港を結ぶ交易を通して、経済・文化の交流が行われており、また戦時中には那覇市民をはじめ多くの沖縄県民が本市に疎開したことなどから姉妹都市の盟約を結びました。
市民レベルから、少年野球や少年少女バレーなどのスポーツ交流、沖縄の伝統芸能エイサーを通した交流などを行っています。
犬山市(愛知県)
平成12年8月10日 姉妹都市盟約締結
飫肥藩初代藩主「伊東祐兵」の二女「於仙」が、「成瀬正成」初代犬山城主の弟「成瀬正武」公に嫁いだ歴史的経緯により交流がはじまり、姉妹都市の盟約を結びました。ナンジャモンジャ(ヒトツバタゴ)の木や飫肥杉のベンチなどを相互に送ったり、犬山市のからくり人形と車山、本市の泰平踊の披露などの交流、また相互に派遣・受入れをし小学生同士の交流も行っています。
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