はじめに 記事をお届けするに当たり、昨夏、関東・東北地域を直撃した、強烈な台風19号と、続く21号の記録的な豪雨で、千葉や栃木、福島など5県の34河川で浸水被害や土砂災害により亡くなられた方々を始め、多岐に亘って被災された皆様へ心よりお見舞い申し上げます。また、このたび我が国の世界遺産である沖縄のシンボル首里城の正殿等主要部分の全焼被害が発生。やりきれぬ国民的ショックも癒えぬ中、重ねて2019年12月4日、アフガニスタン東部で長年医療と共に当地に用水路を完成させた国民的英雄、中村哲医師の暗殺事件が続きました。余りにも大き過ぎる一連の悲報に暮れた昨今です。今私達は世界平和の為に何が出来るか…?中村氏が遺した後姿から一人ひとりが何かを学び取り、その実践こそが目指した真の世界樹に繋がるものと思います。謹んで哀悼の意を捧げつつ。合掌
飛騨の匠の技が冴える紅殻格子の「渡辺酒造」の佇まい。軒下中央には、「蓬莱」の看板と酒造りの神様が宿る「杉玉」が…。七夕には笹の葉がサラサラと軒端に揺れているのかな…
飛騨市古川町「蓬莱」蔵元 渡辺酒造店 正面
渡辺酒造店「蓬莱」
飛騨市「渡辺酒造店」-その歴史を探る
享保17年(1732)に渡邉家の初代久右衛門が当地で「荒城屋」と称して業を起こし、2代目久右衛門は両替業を始めると共に生糸を製造して京都に販売し、産を成しました。
創業の精神を暖簾に込めて・・・「荒城屋」
渡邉家が酒造りを始めたのは明治3年(1870)、5代目久右衛門章でした。
生糸の商いで京都に旅した折に口にした酒の旨さが忘れられず、自ら居するこの地に酒蔵を構え、旨い酒をとの一心で酒造りを始めました。
出来あがった酒は至極好評となり、酒を愛でる宴で謡曲を謡いながら、えもいわれぬ、珠玉のしずくに酔ったと記されています。
その時、謡曲「鶴亀」で謡われた「蓬莱」を銘柄として選びました。
「蓬莱」は仙人が住むと云われる不老長寿の桃源郷・・・そして、「蓬莱」は人に慶びを与え、開運をもたらす縁起のよい「酒ことば」です。
明治・大正・昭和と、全国の銘醸地を訪れ酒造技術の習得に努め、美酒醸造の努力を惜しまず、品質至上主義を貫き数々の品評会で上位入賞。
若山牧水をはじめ飛騨を訪れる文人墨客に愛飲され、その名は次第に酒通の知るところとなりました。
飛騨を代表する美酒として高い評価を受け、地域風土に根差し、四季折々の食材と共に生活の慶びの一献として、永きにわたり地元の人々に愛し続けられています。
それぞれの酒蔵には追い求めるものがあります。それはどうしても捨てられない酒蔵の魂というべきもの。蓬莱が追い求めるものは
「米のいのちを生かすよう、真っ直ぐに醸す、心や人間性の酒造り」。
伝統と手造りを重視し、古い木の道具を使い、じかに感じる香りや手触りを大切にしています。
現在、9代目・渡邉久憲氏は杜氏・北場広治氏の協力を得て、創業以来受け継がれた飛騨厳冬寒造りを開花させ、今まさに酒造り150年目を迎え、技術研鑚、人材育成、伝統文化の伝承に余念がありません。
飛騨路を北へ。
詩情豊かにたたずむ町❝飛騨古川❞
に蓬莱の酒造はあります。
本堂山から古川盆地を見下ろす。まるで龍が山を下り源流から水を運んできたようだ!
彼方の乗鞍岳の頂には雪が…初冠雪。いよいよ、飛騨びとたちの冬支度・酒造りが始まる…
マタギも通らないという山奥の獣道を分け入る…ここが源流、龍の棲み処なのか⁉
チョロチョロと湧いて出た源流の水は、長い旅路を経て、やがて大河となり田畑に流れ込み、飲み水や米や酒となり山里・飛騨の人々の生活を潤してくれるのです・・・
氷点下15度の温もり
飛騨古川の冬は、山も、町も、木も、家も、猫は炬燵で丸くなる。だけど※・・・
当蔵のある飛騨古川は、東は「乗鞍岳」「穂高岳」西は白山連峰に囲まれた高冷地です。冬は大変寒く、氷点下15度まで下がり、毎年1月~2月にかけて蔵がすっぽり埋まるほど雪に覆われます。降雪により空気は清浄化され、雪に埋もれた酒蔵は、酒造りに好適な室温が大きな変化もなく保持されます。この環境のもとで清酒の醪(もろみ)は低温長期の発酵経過をたどり、きめ細やかで香りよい酒ができあがります。困難を乗り超えてきた飛騨びとの力強さと酒造技術は、飛騨の厳しい寒さから生まれたのです。
日本酒の味に大きく関わってくるのは水
飛騨古川「瀬戸川と白壁土蔵街」
冬には山の池に越冬していた錦鯉たち。春になると帰ってきます。涼やかですね~
白壁土蔵やお寺の石垣を背景に、1,000匹余りの色とりどりの鯉が泳ぐ瀬戸川は、そのしっとりとした風情と、情緒豊かな景観で城下町飛騨古川の顔ともいうべく人気のメインスポットです。
碁盤のような町割りや古い町家が今も残り、約500m続く白壁土蔵街は四季折々に見せるその情景がとても美しい。
飛騨古川は宮川水系と荒城川水系がぶつかる水の豊かな土地で、市街地中には清らかな水に鯉が泳ぐ用水路が引き巡らされています。
仕込み水に使う水はミネラル豊富な中硬水で飛騨山脈を水源とする荒城川水系伏流水を敷地内の深さ55メートルの自家井戸から汲み上げて使用しています。硬水の仕込み水はミネラル成分(カルシウム・カリウム)が麹や酵母の栄養分となり、出来あがった酒をまろやかでキレの良い味わいに感じさせます。
また蓬莱の自家井戸水はその水質もさることながら水量が豊富なため水温が常に一定に保たれ日々の酒造りを安定したものにしています。
水と並ぶ原材料の米ですが、こちらも地元飛騨で収穫された旨みたっぷりの酒造米「飛騨ほまれ」を中心に使用しています。近隣に所在する中山間農業研究所にて高冷地に適した優良な米づくりを研究しています。飛騨ほまれの特長は、軟質で最高級山田錦に匹敵する心白の大きさです。
蓬莱が目指す綺麗な甘口、上質な癒し感を演出するにはピッタリのお米なのです。
蓬莱では定番の普通酒、蓬莱上撰や小町桜にも飛騨ほまれを贅沢に使用しています。その他に全国の優秀な農家さんとネットワークを築き、兵庫県産山田錦や愛山、秋田県産亀の尾、岡山県産赤磐雄町、山口県産穀良都、北海道産吟風を使用、多様な米の品種による酒造りにもチャレンジしています。
酒造りで大切なのは「酒をつくる人間」。
渡辺酒造店の蔵人は全員が杜氏の技量を持つ酒造り職人集団です。昔ながらの古式酒造法と時代の最先端を行く吟醸造りをうまく合わせて13人という大所帯でじっくりと酒造りを行っております。
現在、10月から翌年4月までの間に一升瓶で55万本の酒を造りますが、これ以上の量は造れませんので、すべてのお酒が限定酒です。
渡辺酒造店の酒造りは、いまだに人の手に多くをたよっています。古い木の道具を使い、じかに感じる香りや手触りを大切にしています。一本一本に魂を込めて皆様に「蓬莱に出会えてよかった!」と感動していただける美酒を目指して仕込んでおります。
その昔、斐陀の国府が置かれ、江戸期には、天領として中央の文化が流入した飛騨古川。冷涼な高原盆地であるが、稲作の改良と工夫が重ねられ、飛騨の穀倉地帯が築きあげられました。
かって上米は飯米や酒造米として売りさばき、農民は、麦飯やいりご(くず米)の草餅などで米を食い出しました。これに、大量に漬け込んだ切り漬け、長漬け、ひね漬などの漬物や味噌などの発酵食品がよく食べられていました。
飛騨の食文化「朴葉味噌」そう言えば昔、あんちゃんが酒の肴に独り占めして盛り切りで飲んでいたのを思い出しました…「朴葉味噌が一番やさ~」と独り言のように呟きながら・・・
当時、小生は辛くて(苦くて?)食べることが出来ませんでしたが…
朴葉味噌を食べると、今も飛騨の酒を口からお迎えして飲んでいた姿が瞼に浮かんできます。
なかでも朴の葉に味噌をのせて、囲炉裏で焼きながらごはんのおかずに食べる「焼き味噌」はたいへんおいしく、「味噌菜(さい)三年身上をつぶす」といわれるくらい酒と食がすすみます。
飛騨人は浄土真宗に深く帰依し、殺生を好まず、一大行事の報恩講や年取りには、白飯、野菜や山菜の煮しめ、品漬け、豆腐料理がなによりのごっつぉうでした。
円光寺
瀬戸川沿いにどっしりと佇む「亀が守る寺」
浄土真宗、西本願寺派のお寺。
毎年1月15日に行われる飛騨古川の冬の風物詩「三寺まいり」の時に巡拝する3つのお寺の一つです。飛騨古川の観光スポットの瀬戸川に隣接し、白壁土蔵街と円光寺の風景は飛騨古川の象徴的な風景として親しまれています。円光寺の山門は、その昔この地を治めた金森氏が築城した増島城の城門を移築したものだと言われています。注目したいのは、本堂の屋根下の両側に施された亀の彫り物。この亀が、明治37年の古川町の市街地ををほとんどを焼失させた古川大火から、このお寺を守ってくれたといわれ、地元の人々は「水呼びの亀」と呼んでいます。
新宗寺
飛騨古川の景観に映える歴史深い寺院
荒城川沿いに位置する真宗寺。もともとは浄土真宗 東本願寺派のお寺でしたが、宝永2年(1705年)に西本願寺派に転派したという歴史があり毎年1月15日に行われる飛騨古川の冬の風物詩「三寺まいり」で巡拝するお寺の一つです。その荘厳な佇まいと、荒城川にかかる今宮橋の赤い欄干とのコントラストが美しいとことから撮影スポットになっています。春には川沿いを埋め尽くす桜、夏には深い緑、秋には美しい紅葉、冬には静かな雪景色という季節ごとに変わる周りの風景も一緒に味わいたい、趣深いお寺です。
本光寺
『あゝ野麦峠』を偲ぶ、飛騨地域最大の木造建築
本光寺の本堂は、木造建築では飛騨地域で最も大きく、市内随一の存在感を誇るお寺。毎年1月15日に行われる飛騨古川の冬の風物詩「三寺まいり」の時にお参りするお寺の一つです。開基本尊の方便法身尊形は、全国的にも珍しい蓮如上人の裏書のある絹本着色の絵像で、岐阜県重要有形文化財に指定されています。敷地内には、その昔、製糸業の盛んな信州に出稼ぎに行ったという多くの飛騨の若い女性たちの姿を描いた小説『あゝ野麦峠』を記念した文学碑も建てられています。
蔵元インタビュー
納得するまで蔵から出すな‼
蔵元曰く「私たちの酒は都内の有名地酒専門店や銘酒居酒屋に並ぶことはありません。けれども日々の生活にいろどりを添える慶びの一献として、飛騨びとの慎ましい暮らしの中にそっと寄り添っていけたら、といつまでも願っています。
私は酒造りというのは、『化学であり、物理であり、そして哲学である』と思っています。
たとえば、蒸した酒米に種こうじをふりかけ、麹菌を繁殖させる。麹によって糖化された蒸米を酵母の作用によってアルコールに変えるのは化学です。
米のたんぱく質や脂肪を減らし、中心部にあるでんぷん質の割合を高めるために高精白にする。搾った酒を温度と時間と湿度を計算して熟成させる。といったことは物理です。
酒造りは、化学と物理の両方といえるのではないでしょうか。
そして、米の「いのち」を生かすように酒を造るということは、哲学ではないかと思うのです。米に「いのち」があると考えて、米が気持ちいいように発酵させようと、扱い方に注意しますね。お米と向き合って、発酵に意識を向けて、酒造りによって心を伝えるということも、やはり哲学ではないかと思うのです。
また、酒造りは単にアルコール飲料を作るものではなくて、もっと奥深くて創造的なものだとも感じています。酒造りは自然と調和し、宇宙と調和すること。宇宙そのものといってもいいほどで、酒造りから教わることはたくさんあると思います。
自然のバランスと調和は人間の意図とは別のところにあり、私たち人間は「自分の好都合の意図」の世界だけを価値判断できるようにしているのにも気付きました。自然は他を生かすことで自らを生かそうとする存在だけで成り立っています。自然の表現はそのまま地球の表現であり、宇宙の意思だと思います。
そのことを良く知り、その意識で酒造りしたのなら、とても調和度の高い酒になります。
それは、数値や理屈だけで判断をせず、見えない命がすべてを生かしていることを信じること。そんな様々な「気づき」や工夫によって味を追求していくと、自然と創造的な酒が生まれてくるのではないでしょうか。
『酒と霊性』というものに思いを馳せたとき、酒の本質とは『つながりの回復』あるいは『失われた関係性の回復』ではないかと感じています。
この世には、まず私たち人と人とのつながりがあります。そして人と自然とのつながり、その先に宇宙とのつながりがある。でもいまの世の中はひとりひとりが孤立していて、そうゆうつながり、関係性が崩壊している社会になっている。
それが酒を通して、人と人、人と自然、そして最終的には人と宇宙、神様とのつながりというものを回復していけるのではないでしょうか・・・‼」
そうですね…そうなって欲しいですね。私は酒を造るということは出来ませんが…人や自然に向き合うとき、是非そうありたいですね~!
そうそう、この新聞紙にくるんだ(失礼・笑)酒なんだよね…近所の小さな酒屋に1本だけ置いてあったので、名古屋名物「ひつまぶし」みたいにまかないの酒でも商品化したのかな~(またまた失礼)と思いましたが、どうしても気になりひと回りしてラベルを読んでみたらビックリ、50年ほど前に古川町の知り合いで建材店と金物店を経営していたオヤジさんが、酒蔵に案内してくれて古川名産「とんちゃん」と一緒に土産に持たせてくれた酒と同じ蔵で醸造されたものだったのです。
(当時は飛騨市ではなく古川町でした。高山市と行き来するのも片道車線位の道幅の石ころがゴロゴロしている地道でした。それでもまだましなほうで、帰り道に雪が降り積もり出すと大変で、急な坂は前も見えない、おまけにガードレールもないときている、スリップして崖から落っこちないかヒヤヒヤしながら、それでも少しづつ前に進み、左手下方にオレンジ色の町灯りが見えた時には大げさでなく、本当に心から命拾いしたと思ったものです。
今は、便利になりました・・・でも、温暖化で世界的な傾向なんだけれど、普段雪があるところに無いのはかえって心配ですね。)
さらにビックリさせられたのは、日本だけでなく国際的なコンクールで第一位を取られていること。またなぜ、小さな酒屋に1本だけ置いてあったのかが不思議でしたが、蔵元のお話をお聞きして、その理由がよくわかりました。
誠に縁とは異なもの・・・
3月20日から150周年記念の「蔵まつり」
「蔵まつり」とは、
毎年3月中旬に開催され、新酒や袋吊り限定酒の試飲、甘酒や粕汁のふるまいや地元の飲食店様とコラボレーションした大吟醸メロンパンや酒まんじゅう、酒蔵カレーの販売など地酒のおいしさが再認識できるうまいものを出店しています。酒かす詰め放題やお笑いライブ、餅まきなどファミリーでも子ども連れでも楽しめるイベントもあります。是非お出かけください!
酒造りの重要な時期に貴重なお時間をお取りいただき、ありがとうございました。
3月20日から始まる150周年記念「蔵まつり」ご盛況を祈念いたしております。
参考
飛騨市の「お祭り」関連情報は下記のリンク記事からご覧ください!
ZIPANG TOKIO 2020「冬の幻想 白壁を揺らす灯火 飛騨古川【三寺まいり】」
ZIPANG TOKIO 2020「飛騨の春はここから始まる!4月19日、20日 天下の奇祭、勇ましい起し太鼓、絢爛豪華な屋台の曳揃え、神事の御神輿行列 三位一体の『古川祭』」開催!
ZIPANG TOKIO 2020「神様が里に出られる日を祝う 飛騨三大祭 『飛騨神岡祭』奥飛騨に春の香り!」
ZIPANG TOKIO 2020「幻想的な祭・きつね火祭り 飛騨古川」
鎹八咫烏記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
協力(順不同・敬称略)
有限会社渡辺酒造店 岐阜県飛騨市古川町壱之町7-7 TEL:0120-359-352
飛騨市役所 観光課 岐阜県飛騨市古川町本町2番22号 電話番号 0577-73-2111
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
早速、読者からのご意見のメールが届きましたのでご紹介いたします。
『読者の声』
やはりお酒を造るうえで大事なことは「水」になるんですね。
写真を拝見しただけですが透き通っており、見るからに美味しそうに感じました。
また渡辺酒造店のこだわりも凄いですね。
「機械化による大量生産の酒造り」を断固拒否しますというパワーワードからも分かる通り、確固たる信念を文面から窺い知ることが出来たと思います。
私はあいにく飛騨を訪れた機会がありませんでしたが美味しい日本酒に味噌は一度堪能してみたいと思います。
『読者の声』
厳しい冬の季節に少しずつ発酵していき出来上がったお酒は、本当に温もりを感じます。 飛騨の水も米も蓬莱という名酒の材料ですね。 どんなお酒なのかとても気になります。知らない人に教えてみたいと思います。
『読者の声』
フーテンの寅さんならきっと「梅に鶯 松に鶴 牡丹に唐獅子 さくらにゃオイラ」きっとこんな風に口上するのでは⁉「祭り」と「酒」はつきもの。飛騨の祭りは何度見ても情緒があって、しかも豪快で絢爛豪華…酒も美味い!
「祭り」と「酒」はつきもの・・・我が町「能登の祭りと能登杜氏」、是非ご紹介ください!
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