ZIPANG-4 TOKIO 2020 日本初!金王八幡宮 伝統文化と最先端テクノロジーの融合!

はじめに 記事をお届けするに当たり、昨夏、関東・東北地域を直撃した、強烈な台風19号と、続く21号の記録的な豪雨で、千葉や栃木、福島など5県の34河川で浸水被害や土砂災害により亡くなられた方々を始め、多岐に亘って被災された皆様へ心よりお見舞い申し上げます。また、このたび我が国の世界遺産である沖縄のシンボル首里城の正殿等主要部分の全焼被害が発生。やりきれぬ国民的ショックも癒えぬ中、重ねて2019年12月4日、アフガニスタン東部で長年医療と共に当地に用水路を完成させた国民的英雄、中村哲医師の暗殺事件が続きました。余りにも大き過ぎる一連の悲報に暮れた昨今です。今私達は世界平和の為に何が出来るか…?中村氏が遺した後姿から一人ひとりが何かを学び取り、その実践こそが目指した真の世界樹に繋がるものと思います。謹んで哀悼の意を捧げつつ。合掌



渋谷駅から徒歩5分に超都心型ドローンスクールが開校!

ドローン操縦士の育成、資格取得を支援するドローンスクールお台場ヴィーナスフォート校(株式会社ハミングバード:東京都港区)では、2020年4月3日より渋谷の金王八幡宮と提携し、金王八幡宮内の蔵脩館金王道場においてドローンスクール渋谷分校を開校致します。


金王八幡宮は1092年(寛治6年)に渋谷城を築き、渋谷氏の祖となった河崎基家(渋谷重家)によって創建されたとされ、1,000年以上の歴史を有する神社です。

今回、伝統文化と最新テクノロジーの融合というテーマから、日本で初めて神社内においてドローンスクールを展開することになりました。


■金王八幡宮との取り組み

株式会社ハミングバードは2017年から毎年、金王桜の空撮を行い記録に残してきました。境内で行われたライブの撮影なども行い、神社におけるドローン活用の実績を積み重ね、今後はスクール運営と合わせ、伝統ある寺社仏閣の点検調査なども積極的に取り組んでいきたいとの事です。


■日本初!超都心型ドローンスクール


株式会社ハミングバードは、日本で初めて大型商業施設内のドローンスクールを、2018年11月にお台場ヴィーナスフォート内に開校しました。今回は、都心部においてドローンスクールに通いたいというニーズに対応すべく、コート併設型のドローンスクールとしては日本で初めてとなる渋谷に分校を開設することになりました。 渋谷駅から徒歩5分という好立地で、金王八幡宮内の蔵脩館金王道場でドローンの操縦技術から座学までを学ぶことができるようになっています。


■日本初!神社とのスクール提携


金王八幡宮は第73代堀河天皇の御代、寛治6年正月15日(1092)鎮座した神社で、渋谷区指定有形文化財として認定されている御社殿や神門、渋谷区指定天然記念物である金王桜など、歴史ある施設が存在し、多くの参拝者に愛されている由緒ある神社です。

今回、伝統文化を守りながらも新しいテクノロジーと融合を進めることで初めてドローンスクールを開校することとなりました。


■ドローンスクール渋谷分校で学べる事


国内におけるドローン活用はビルや家屋等の点検業務から運送、農業、災害対策まで、ビジネス活用が急速に広がっています。今後、ドローン操縦士は14万人不足すると言われており、当スクールではドローン操縦士としてビジネスで活躍できる人材を育成します。

当スクールは一般社団法人ドローン操縦士協会(Drone Pilot Association/略称:DPA)に加盟しており、スクールを通じてDPAの発行するドローン操縦士回転翼3級を取得することが可能です。また、当スクールでは確かな操縦技術と知識を兼ね備えた操縦士を育成するために、1人のインストラクターに対して生徒は最大2名までという少人数制で質の高い講義を実施します。


■日本一のドローンスクールを目指して

当社は、最先端テクノロジーとサービスを事業者や個人に提供し、ドローン事業の無限の可能性を形にし、優秀な人材を育成して産業発展に貢献する目的で設立しました。

特にドローンを使用した検査分野における売上高の2024年までの年平均成長率は71.6%と試算されるなど、今後の大きな成長が見込まれています。そこで日本のドローン産業のすそ野を広げるには、一大ドローンスクールを形成せることが産業の発展には不可欠だと考え、当社の鈴木代表をはじめとするスタッフの皆さんが一丸となり、強い信念のもと、日本のドローン産業の発展の為に日々精進する覚悟です。


■無料操縦体験&説明会を開催

ドローンスクール渋谷分校では、無料体験会を定期的に開催します。
以下に該当する方は是非ご参加ください。

・ドローンを活用した新規事業を検討したい

・ドローンを使って業務の効率化を図りたい

・信頼性の高いライセンスを取得したい

・ドローンを建物点検で役立てたい

・ドローンで空撮したい 


■無料操縦体験&説明会のアジェンダ

<1部 説明会(30分~40分)>

・ドローンの産業用途における最新事例紹介

・潜在市場15兆円!ドローン産業の全体像と市場規模

・国土交通省の飛行申請に関する規則

・ライセンス取得

<2部 ドローン操縦体験(30分~40分)>

・DJI F450(練習用ドローン)の操縦体験

・最新型ドローンのデモンストレーション飛行


■無料操縦体験&説明会の開催日程

2020年4月3日(金)10:00~、13:00~、15:00~

2020年4月10日(金)10:00~、13:00~、15:00~

2020年4月17日(金)10:00~、13:00~、15:00~

2020年4月24日(金)10:00~、13:00~、15:00~

※各回の定員は最大4名までとなります。

※上記日程以降、原則金曜日に開催。


■金王八幡宮について

渋谷八幡宮は、第73代堀河天皇の御代、寛治6年正月15日(1092)に鎮座いたしました。 桓武天皇の曽孫である高望王の後裔で秩父別当平武基は源頼信による長元の乱(1028-1031)において功を立て、軍用八旒の旗を賜り、その内の日月二旒を秩父の妙見山(武甲山)に納め八幡宮と崇め奉りました。

渋谷金王八幡宮は、古くは単に八幡宮又は渋谷八幡宮と称しておりましたが、渋谷金王丸の名声により、金王八幡宮と称されるようになりました。


■株式会社ハミングバードについて


日本初の『都心型商業施設タイアップ産業用ドローンスクール』を2018年11月に東京お台場のヴィーナスフォート(運営:森ビル株式会社)に開校。天候に左右されることなく冷暖房完備の快適な空間でドローンの練習に集中できる環境を提供。年中無休で日勤帯(10時〜17時)に加えて夜帯(18時〜22時)も開講しており、受講者の都合に合わせて通うことが可能となっています。

2020年4月より渋谷の金王八幡宮内の蔵脩館金王道場と提携し、渋谷分校を開校。
専門資格を有したインストラクターが5名在籍しており、ドローンスクールの運営以外にも、ドローンを活用した空撮や点検業務を得意としています。特に点検業務に関しては創業当時より都内及び都内近郊の商業ビル、マンション、家屋など数多くの実績とノウハウを持つ。



参考

金王八幡宮について


御祭神

応神天皇(おうじんてんのう) [品陀和気命(ほんだわけのみこと)]

応神天皇は第15代天皇で、八幡大神として全国の八幡社に祀られています。
別名は品陀和気命(ほんだわけのみこと)八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)とも称され、欽明天皇32年(571)に初めて九州宇佐の地にご示現になられました。


皇室は、宇佐八幡宮や石清水八幡宮を伊勢神宮に次ぐ、第二の宗廟として八幡大神を崇敬しました。清和源氏、桓武平氏など全国の武家から武運の神「弓矢八幡」として崇敬を集め、殊に清和源氏は八幡大神を氏神として崇敬し、日本各地に勧請しました。

源義家が石清水八幡宮で元服し、自らを八幡太郎義家と名乗ったことは有名です。

当八幡宮は、雄徳山八幡(石清水八幡宮)を勧請したことが元別当東福寺の梵鐘に記されています。(月旗を御神体と成して勧請)

社伝記によると、土佐坊昌俊(金王丸)の養子となった渋谷重家が、父昌俊の遺品を受けに鞍馬寺に行った際、甲冑馬上の八幡像を拝し由縁を尋ねると、弘法大師が宇佐八幡宮に参篭の折「我東国に跡を垂れ、国家の泰平を守らんとて、いまだ由縁来らず、暫く鞍馬寺に納べし」との御神託により鞍馬寺に納められた八幡像で、高重が渋谷に持ち帰り当八幡宮の御神体としたと記されています。

八幡大神は、「文武の神」「平和の神」「母子の神」「子授・安産・子育ての神」として古くから信仰されておりますが、当八幡宮ではこの外に「福徳開運、厄除、良縁の神」特に「渡航交通安全の神」として、御神徳の高い神と崇められています。


由緒


当八幡宮は、第73代堀河天皇の御代、寛治6年正月15日(1092)鎮座いたしました。 桓武天皇の曽孫である高望王の後裔で秩父別当平武基は源頼信による長元の乱(1028-1031)において功を立て、軍用八旒の旗を賜り、その内の日月二旒を秩父の妙見山(武甲山)に納め八幡宮と崇め奉りました。

武基の子武綱は、嫡子重家と共に後三年の役(1083-1087)の源義家の軍に300騎余を従え一番で参向し、仙北金沢の柵(秋田県仙北郡金沢)を攻略しました。

その大功により名を河崎土佐守基家と賜り武蔵谷盛庄を賜りました。

義家は、この勝利は基家の信奉する八幡神の加護なりと、基家が拝持する妙見山の日月旗を乞い求め、月旗をもってこの地に八幡宮を勧請しました。

重家の代となり禁裏の賊を退治したことにより堀河天皇より渋谷の姓を賜り、当八幡宮を中心に館を構え居城とし、渋谷氏は代々当八幡宮を氏族の鎮守と崇めました。これが渋谷の発祥ともいわれています。

渋谷城は、東に鎌倉街道(現 八幡通り)、西に渋谷川が流れ、北東には黒鍬谷を有し、さらに数箇所に湧水があるという好条件を備えていました。しかし、大永4年(1524)1月13日に起きた、北条氏綱と上杉朝興の高輪原の戦(現 品川区高輪付近)で、渋谷氏が交戦中だった北条軍の別動隊により襲われ焼き払われてしまいました。現在、境内に渋谷城砦の石が保存されています。

渋谷氏が武蔵谷盛庄七郷(渋谷、代々木、赤坂、飯倉、麻布、一ツ木、今井など)を領していたので、当八幡宮は八幡通り(旧鎌倉街道)、青山通り 宮益坂 道玄坂(旧大山街道)を中心とする、渋谷、青山の總鎮守として崇められています。

当八幡宮は、古くは単に八幡宮又は渋谷八幡宮と称しておりましたが、渋谷金王丸の名声により、金王八幡宮と称されるようになりました。


金王丸


渋谷金王丸常光(しぶやこんのうまるつねみつ)は、渋谷平三重家の子で、永治元年(1141)8月15日に生まれました。

重家には子がなく夫婦で当八幡宮に祈願を続けていると、金剛夜叉明王が妻の胎内に宿る霊夢をみて立派な男子を授かりました。そこで、その子に明王の上下二文字を戴き「金王丸」と名付けました。

金王丸17歳の時、源義朝に従って保元の乱(1156)で大功を立て、その名を轟かせました。続く平治の乱(1159)では義朝は敗れ、東国に下る途中立ち寄った尾張国野間の長田忠宗の謀反により敢えない最期を遂げました。

金王丸は、京に上り常磐御前にこのことを報じたのち渋谷で剃髪し、土佐坊昌俊と称して義朝の御霊を弔いました。(平治物語には、金王丸は出家して諸国を行脚し義朝の御霊を弔った、とあります。)

金王丸は、義朝の子である頼朝との交わりも深く、頼朝が挙兵の折は、密かに当八幡宮に参籠して平家追討の祈願をしました。

壇ノ浦の戦いののち頼朝は義経に謀反の疑いをかけ、これを討つよう昌俊(金王丸)に命じました。昌俊は断ることもできず、文治元年(1185)10月、百騎ばかりを率いて京都に上り、同月23日夜義経の館に討ち入りました。

昌俊は、はじめから義経を討つ考えはなく、捕らえられて勇将らしい立派な最期を遂げました。

金王丸の名は平治物語、近松戯曲などに、また土佐坊昌俊としては源平盛衰記、吾妻鏡、平家物語などにみえ、その武勇のほどが偲ばれます。

そして金王丸の名声により、当八幡宮を金王八幡宮と称するようになりました。
当八幡宮に伝わる「毒蛇長太刀」は金王丸が所持していたもので、長田の館の奮戦で「鉾先に向かいその刃風に触れる者生きて帰る者なし、鰐口は遁れるとも毒蛇の口は遁れ難し」と言ったことにより名付けられました。

当八幡宮の境内にある金王丸御影堂には、金王丸が17歳で出陣の折、自分の姿を彫刻し母に形見として残した木像が納められています。(写真) 渋谷氏の後裔は全国各地に連綿と続いておりますが、明治の元勲東郷平八郎元帥も渋谷氏子孫の一人です。

金王丸の木像は、3月最終土曜日に斎行される金王丸祭で特別開帳されます。


御社殿

渋谷区指定有形文化財


御社殿は、徳川2代将軍秀忠の世
慶長17年(1612)に青山忠俊と春日局によって造営されました。竹千代(後 家光)9歳、弟国松(後 忠長)7歳の頃、3代将軍は国松であろうとの風説が行われました。

竹千代の乳母春日局と守役青山伯耆守忠俊はこれを憂い、伯耆守は氏神として信仰していた当八幡宮に熱心に祈願をこめ、春日局もまた護摩料金八十両を奉納しています。

その後、家光の具足始めの儀が行われることとなり、これ神明の加護と伯耆守は数多の材木を、春日局は金百両を寄進し社殿を造営しました。

この社殿は、権現造りで江戸初期の様式を現在にとどめ、都内でも貴重な建築の一つに数えられます。近世の神社建築としてはあっさりした姿で、豪華ではあるが極めて優しげな彫刻が各所に施されています。

特に拝殿正面左右の窓のような狭間には漠と虎が彫られ、獏は世の安寧、虎は正しいまつりごとへの祈りの心が込められています。


神門

渋谷区指定有形文化財


神門(通称 赤門)の建立年代は、「地子古跡寺社帳」による明和6年(1769)と、門の額裏面の享和元年(1801)の刻銘があり、明和6年の資料には、「(前略)当社八幡宮門之不用心ニ付、冠木門内法八尺、扉両開、左右壱間宛塀、屋根瓦葺、塀左右三間四尺宛之矢来」と記されこれまで門がなく、この時新築したことが窺えるが、現在の門と寸法や形式に一部相違がみられます。

享和元年(1801)は、文献によると、丹波篠山藩青山忠裕より150両の寄進があり各建物の修理を広範囲でおこなっており、建物の様式より見てもこれよりも時代が下ることはないと思われます。

幾度かの修理を経て今日に至っておりますが、江戸時代初期の建築様式を現在にとどめる、都内でも代表的な建物の一つです。


金王桜

渋谷区指定天然記念物


金王桜は、長州緋桜という種類で、雄しべが花弁化したものも交じり、一枝に一重と八重が入り混じって咲く珍しい桜です。

当八幡宮の「社傳記」によれば、文治5年(1189)7月7日 源頼朝が藤原泰衡退治の下向の時、渋谷高重の館に立ち寄り当神社に現在社宝とされる太刀を奉納しました。

その際金王丸御影堂へ参り、父義朝に仕えた渋谷金王丸の忠節を偲び、金王丸の名を後世に残すべしと厳命し、鎌倉亀ヶ谷の館にあった憂忘桜をこの地に移植させ、「金王桜」と名付けたとされています。
また、江戸時代盛んに作られた地誌にも紹介されており、江戸三名桜の一つに数えられました。

金王桜は、現在に至るまで代々実生より育て植え継がれ、守り伝えられています。



しばらくは 花のうえなる 月夜かな  芭蕉

この句碑は、元禄4年(1691)芭蕉48歳の時のものです。文化14年中(1817)に、蕉門十哲の1人であった太白堂門人山奴社中が建立。当八幡宮でこの句を詠んだという記録は見つかってないので、句にあった場所に建立したと考えられます。


玉造稲荷社


御祭神 宇賀御魂命(うがのみたまのみこと)

祭礼日 2月初午

創 建 元禄16年8月(1703)


由縁

宇賀御魂命は、農耕をはじめ諸産業に御神徳があり、屋敷神としても多く祀られております。

御本社は京都伏見稲荷大社で、伊勢神宮内宮に祀られる天照皇大神のお食事を司る神として外宮に祀られた豊受大神と同神であるといわれております。

稲荷神社は全国に約三万社余あるといわれ最も身近な神社の一つです。

玉造稲荷神社が創建された江戸中期、さらに明治の頃まではこの渋谷も農家が多く稲作がおこなわれ、茶畑も広がっておりました。

また、大山道(国道246号)宮益坂には町屋が並び商業が盛んでした。 これらさまざまな人々の崇敬を集め、その御神光は現在に至るまで変わることなく輝き渡っております。


御嶽社


御祭神
櫛眞知命(くしまちのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
少名毘古那命(すくなひこなのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
祭礼日 11月一ノ酉
創建 不詳


由緒

御嶽神社は、「開運」「商売繁昌」の神として、特に客商売を営む人々の信仰を広くあつめており、本社は武州御嶽神社です。

大鳥大神と称える日本武尊は、古来より武道守護の神として武士の信仰をあつめておりました。

ここに祀られたのも、この地が武門の誉れ高き渋谷氏の居城であったからと考えられます。
また、社前の狛犬一対と西参道の鳥居はかつて実践女子学園の校内にあった「香雪神社」のものを移設したものです。


金王丸御影堂


御祭神 渋谷金王丸常光(しぶやこんのうまるつねみつ)

祭礼日 3月最終土曜日 金王桜まつり

創建 不詳

昭和47年再建


由縁

渋谷平三重家の子で、永治元年(1141)8月15日に誕生しました。重家には子がなく夫婦で当八幡宮に祈願を続けると、金剛夜叉明王が妻の胎内に宿る霊夢を見て立派な男子を授かりました。

そこで、その子に金剛夜叉明王の上下二文字を頂き「金王丸」と名付けました。
金王丸17歳の時、源義朝に従い保元の乱に出陣大功を立て、平治の乱で義朝が敗れたのち出家し、土佐坊昌俊と称し義朝の御霊を弔いました。

また、頼朝とも親交が深く鎌倉幕府開幕にも尽力。義経追討の命を受け、文治元年(1185)10月23日夜、百騎ばかりを率いて義経の館に討ち入り勇将らしい立派な最期を遂げました。

頼朝は、金王丸の忠節を偲び、鎌倉の館よりこの地に桜樹を移植し「金王桜」と名付けました。

この御影堂には、保元の乱出陣の折、自分の姿を彫刻し母に残した木像が納められ、毎年三月最終土曜日の祭礼に特別開扉されます。更に金王丸が所持した「毒蛇長太刀」も保存されております。



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使



協力(敬称略)

金王八幡宮 〒150-0002 東京都渋谷区渋谷3-5-12



※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。


読者からのご意見が届いておりますのでご紹介いたします。


『読者の声』

コロナウイルス関連で、大変な状況ですね; どうぞご自愛ください。


『読者の声』

神社やお寺は境内も広く、気兼ねすることなくドローンが飛ばせるので良い考えですね!
近ければ通いたいのですが、生憎、屋久島なんです。屋久島には九州で一番高い山があるせいか雨が多いのです。山林や天然記念物などの調査には効果がありそうな気がします・・・ 



ZIPANG-4 TOKIO 2020

2020年東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、神社仏閣、祭礼、伝統芸能、風習、匠の技の美、世界遺産、日本遺産、国宝等サイトを通じて平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

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