ZIPANG-4 TOKIO 2020 黄金の国ジパング『ケセン』(その2)~ 気仙三十三観音巡り ~

2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災から9年経た今・・・

復興のシンボル 「奇跡の一本松」
粛然と佇立する一本松を残し津波に飲み込まれた7万本の高田松原。全ての日本人がそのやる瀬なさと愛おしさに涙した。 


高田松原とは

高田松原は、かつて岩手県陸前高田市気仙町にあった松原で、白砂青松(はくしゃせいしょう)の景観として有名でした。江戸時代の寛文7年(1667年)、高田の豪商によって植栽され、仙台藩と住民の協力によって6,200本のクロマツが植えられたのが始まりで、その後、享保年間(1716年 - 1736年)に増林が行われ、以来、クロマツとアカマツからなる合計7万本もの松林は、仙台藩・岩手県を代表する防潮林となり、景勝の一つとして大勢の観光客を集めました。

明治29年(1896年)の明治三陸津波、昭和8年(1933年)の昭和三陸津波、(昭和35年(1960年)のチリ地震津波では防潮林として市街地への被害を防いできましたが、2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)では、10メートルを超える大津波に呑み込まれ、ほぼ全ての松がなぎ倒され壊滅しました。1本の松が倒れずに残り、この松は震災直後から復興のシンボルと捉えられ、「奇跡の一本松」などと通称されるようになりました。


震災直後の気仙中学校

震災遺構・気仙中学校

津波が気仙川の堤防を越えてからわずか数分で校舎3階に達しました。震災当時学校にいた生徒たちは、津波到達前に全員避難し無事でした。


~本号の記事に寄せて~

忘れまじ ‼
新型コロナ禍中であの日本の半分・東日本の大被災地も未だ渦中なのだ… 

真っ先に思い浮かんだのは一番に当事者、被災された地域住民皆様の願いでありました。残念ながら現在、ハード面は完成しても現場は遅々としてイメージ通りには進んでおりません。護岸工事は台地そのものを嵩上げして、昔の景色とは似ても似つかぬ海と陸を隔てた構想でした。

長時間掛けて地元住民、専門家、自治体、行政間で辿り着いた結論として他に譲れない共通認識…それが絶対条件でした…


いちばん大事なものは人命です ‼

(本当にそうですね?傍から嘴を挿し込む余地など有りません。) 

そして以下がそれを物理的に解決された結果でした。
(陸前高田市のケース)
堤防嵩上げ・水門新設:計画堤防高T.P.+12.5m(被災前 T.P.+6.5m)


間近に見えたあの美しい青い海の色は遠望するの?
間近まで散歩も出来た波止場は昔話?
活発に出入りする大小の漁船群の送迎が出来たあの喧騒は…?
そして地元民、想い出一杯の故郷、町中の景色は…!


波止場町の市場、酒場、スナック、食堂、スーバー、コンビニ、屋台、八百屋、雑貨屋、クリニック、薬屋、パチンコ店、GS、 理髪店、美容院、喫茶店、交番…人々が交流した音と匂いと喧騒の様々な賑わいのあるたまり場…それは濃密なる活き活きとした生活空間でした。


海辺と密着した昔からの慣習…波止場での大漁に湧く歓声、叫声、怒声、一喜一憂の感情の交錯!
当に生きている実感…しかし、目下進行中のテレワークやオンライン現象はそして、リニア問題等は、数々のメリットはあれど、飽くまでも自然と分離したバーチャルな体験ですよね?・・・これが新時代への進むべき方向でしょうか?

何処やら共通するものがありそうです。昔の故郷は何処へ行ったの?

そんな記憶のよすがなど何処にも無い五感を失ったバーチャルな虚脱感……
それでも帰りたい人、見ただけで帰りたくない人々…まだまだ復興は遠く、先の先です。

でも、でも…諦めてはいけません。昔の記憶はまだまだ残されているとてつもなく広い大地に潜んで居ますよ〜

例えばこのような被災地の殆どは沿岸部であり、その背景にある高台から広大に広がる丘陵地帯やその奥の山間部には、こうした方々とは切っても切れない、歴史的な背景としての信仰、ものづくり、伝統芸能、金工、木工、牧畜、生活物品等の 生産拠点や伝承技術が沢山残されています。

本サイトでは人々の心の願いである故郷への想いに少しでも近付きたい。手掛かりになれる一縷の希望を託し、視点を変えて本来の記憶を辿る記事を拝見し、かなりホッとしたのも確かです。

以上、私は他所者ですが、元原爆体験者として、当時7歳児だった頃の記憶から、当サイトのポリシーに基づき、未だに消え失せることのない心の渇望とは何か?が重なり、つい書き綴って仕舞いました。失礼をお赦し下さい。  

                      日原もとこ(色紐子)


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いま世界的に新型コロナパンデミックの真っ只中ですが、日本ではこれに追討ちをかけるように、7月初旬には異常気象による局地的な集中豪雨現象が各地に発生しております。気象庁はこれを称して、「令和2年集中豪雨」と命名しました。

特に熊本県南部、川辺川・球磨川流域を中心とした地区では急激な増水濁流で81名の方々が死亡、行方不明となられる一方、岐阜県下では広範囲に亘る崖崩れや土砂災害、幹線道路の崩落で交通網の遮断。飛騨川流域を中心とする地域では家屋の損壊、浸水等の被害がありました。

ここに謹んで被災された方々への御見舞と共に尊き命を犠牲にされた方々へ深く哀悼の意を捧げます。 残された私達はその戴いたメッセージを正しく新しい未来へと生かす事を誓い祈念するものであります。

編集局記

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黄金の国ジパング『ケセン』

気仙(けせん)は、伝統文化がいまも豊かに息づく土地です。
歴史的には「黄金の国ジパング」の名の元となった金の産出地としても知られ、 信仰、祭礼、踊り、建築物や美術工芸などを今に伝えています。

柳田國男が絶賛した地としても知られ、宮沢賢治の創作の源一つでもありました。 現在は、大船渡市、陸前高田市、住田町の2市1町に分かれていますが、 文化財の宝庫として、今もケセンは「黄金の国」と呼ぶにふさわしいエリアです。


気仙三十三観音巡り

Kesen Sanjusan Kannon

気仙地域の霊場巡りの道


気仙三十三観音とは

概要

気仙地域の観音霊場巡りのために選ばれた、2市1町にまたがる33の寺院。気仙町の泉増字を一番札所とし、高田町の浄土寺まで三十三番札所があります。現在の市町別では、大船渡市に6カ所、陸前高田市に21カ所、住田町に6箇所の札所があります。


由来

気仙三十三観音は、江戸中期、享保3年(1718年)春から、高田村の検断役(大庄屋)・佐々木三郎左衛門知則が父母の追悼供養のために選定したと、『気仙風土草』に記されています。


産形山 泉増寺

Minagata-san Senzou-ji temple

気仙三十三観音 一番札所



産形山 泉増寺とは

弘仁元年(810年)の開基。
一番札所の産形山・泉増寺は、伊達の殿様の庇護を受け、安産守護の観音さまとして有名です。出産シーンを連想させる巨岩があり、子安観音堂に祀られています。


坂道の中段には霊泉と伝承されている井戸があります。この水は月に一度、白色に変わるので「今白水」と呼ばれ、「今泉」の村名になったとの伝説もあります。高台にあって気仙川の流れを一望でき、一番札所にふさわしい眺めです。

陸前高田市気仙町字荒川127


如意山 金剛寺

Nyoi-san Kongou-ji temple

気仙三十三観音 二番札所



如意山 金剛寺とは

真言宗智山派の寺。
平成23年(2011年)3月11日、東日本大震災の大津波により被災。ご本尊の如意輪観音菩薩像は泥中より発見され、現在は矢作町の圓城寺に安置されています。


平安時代前期の学者で歌人・大江千里(おおえのちさと)がこの地に下向していました。仁和4年(888年)、開山第一世・宥◆(ゆうばん、◆は金へんにつくりはムの下にのぶん)法印が大江千里の帰洛を祈願したところ、恩赦を得て帰郷できたことに感謝して建てられた寺院と伝えられています。

 岩手県陸前高田市気仙町字町裏29


古谷観音堂

Koya Kannon-do temple

気仙三十三観音 三番札所


古谷観音堂とは

「大古谷(おおこや)」と呼ばれる吉田家の観音堂。
古くは「長部古谷」と呼ばれ、6体の観音像が祀られています。かつてここの観音様は一寸八分(約5㎝)ほどの兜仏でした。

長部には3カ所(古谷観音堂、要害観音堂、上長部観音堂)の札所があり、土地の人々はこれを「長部三観音」と呼んでいます。 寺名のない在家別当の観音堂です。

岩手県陸前高田市気仙町字古谷


要害観音堂

Yougai Kannon-do temple

気仙三十三観音 四番札所


要害観音堂とは

ご本尊は秘仏の聖観音菩薩。
三番札所(古谷観音堂)と同様、寺名のない在家別当の観音堂です。 長部には3カ所(古谷観音堂、要害観音堂、上長部観音堂)の札所があり、土地の人々はこれを「長部三観音」と呼んでいます。

ご本尊を含め3体の仏像は屋号も「要害」の熊谷家宅と庭続きの持仏堂に祀られていましたが、3. 11の大津波により流出。長さ一寸二分の兜仏は後日見つかりました。

岩手県陸前高田市気仙町字要谷


上長部観音堂

Kamiosabe Kannon-do temple

気仙三十三観音 五番札所


上長部観音堂とは

ご本尊は秘仏の聖観音菩薩坐像。
身の丈約50㎝で光背台座に乗っているといいます(秘伝)。以前には一寸八分(約5㎝)の兜仏がありました。

長部には3カ所(古谷観音堂、要害観音堂、上長部観音堂)の札所があり、土地の人々はこれを「長部三観音」と呼んでいます。 赤い鳥居が目印の参道を上がると、銅板葺きで二層垂木の屋根のお堂が見えてきます。堂宇の木肌や骨組には、歴史の年輪が刻まれています。

岩手県陸前高田市気仙町字上長部


馬頭観音堂

Batou Kannon-do temple

気仙三十三観音 六番札所


馬頭観音堂とは

馬頭観音堂は文化年間(1804~1817)に建てられました。ご本尊は秘仏の馬頭観音菩薩で、高さ七寸(21㎝)金仏坐像です。JR大船渡線の陸前矢作駅(BRT)からほど近い山裾にひときわ長い石段が見えます。登りつめると2間四方の端正なお堂があります。お堂の管理は小林家。

岩手県陸前高田市矢作町字片地家


観音寺 観音堂

Hase-zan Kannon-ji temple

気仙三十三観音 七番札所/気仙三観音の1つ


観音寺 観音堂とは

大同2年(807年)開基。気仙三十三観音の七番札所です。開祖は閑董院・宥健法印と言われています。長谷山観音寺は、同時に岩手三十三観音の二十番札所にもなっています。

征夷大将軍・坂上田村麻呂の鬼退治伝説に由来する気仙三観音の一つ。伝説によると、「熊井」という悪鬼を討ち取った副将軍の別府隼人は、その後病死してしまい、これを弔うため、お堂を建立して十一面観音を祀ったと伝えられています。

観音堂は、気仙大工の技術の粋を集めて造られた建築。その優れた技は、正面折り戸や観音開きのケヤキ扉をはじめとして、建造物のいたるところに生かされており、見応えがあります。

岩手県陸前高田市矢作町字寺前79


竹駒山 延命寺

 Takekomayama Enmeiji

竹駒山 延命寺 八番札所


延命寺とは

延命寺は、岩手県一関市川崎町薄衣にある東安寺第五世丹嶺守桂大和尚が仙台藩家臣伊達安芸守から気仙地方布教を命じられ、当地方で阿部与左ェ門照供(当寺開基)の寄進を受けて建立されたのが始まりです。開創年は永禄元年(1559年)。令和元年で460年を迎えました。

瀧山千手観音は、正徳年間(1711年~1715年)に氷上山中腹に御堂が建てられ、その中で祀られておりました。しかし、亨保年間(1716年~1736年)に山津波によって流されたため、延命寺へ移されました。昭和53年、新たに瀧山千手観音堂が建てられましたが、現在は延命寺本堂西側に祀られております。この観音様は、安産祈願の観音様として信仰を集めております。

岩手県陸前高田市竹駒町字上細根9



続く・・・



千手千眼観世音菩薩・弁才天関連情報は下記リンク記事をご覧ください。


ZIPANG-3 TOKIO 2020千年の時を経ても人々を惹きつける「琵琶湖八景 竹生島。神秘的な美しさを秘めた島として平家物語にも登場!(第一話)」

https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6066317/


ZIPANG-3 TOKIO 2020 聖武天皇への天照皇大神のお告げ「江州の湖中にある小島は、弁才天の聖地である。寺院を建立せよ。国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう(第二話)」

https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6072605


ZIPANG-3 TOKIO 2020「天女降り立つ浪漫の島 竹生島 宝厳寺(第三話)」

https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6078671/


ZIPANG-3 TOKIO 2020 住職語り『面白の島の四方山話』(第四話)

https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6086483/


ZIPANG-3 TOKIO 2020 「 ~弁才天の聖地 琵琶湖~ 『竹生島 宝厳寺』(第五話)」

https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6091406/



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使



協力(順不同・敬称略)

気仙伝統文化活性化委員会
東海新報社
〒022-0002 岩手県大船渡市大船渡町鷹頭9−1 電話: 0192-27-1000

日原もとこ(色紐子)
東北芸術工科大学 名誉教授 風土・色彩文化研究所 主宰 まんだら塾塾長 

文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111



※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。    

ZIPANG-4 TOKIO 2020

2020年東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、神社仏閣、祭礼、伝統芸能、風習、匠の技の美、世界遺産、日本遺産、国宝等サイトを通じて平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

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